武蔵小杉の歌会に行く

 朝は晴れて青空がひろがり、雲の切れ端が低い空に浮かぶ。
 いつものように老犬ももこの友だち犬や飼い主さんと散歩に出た。ほぼ日課となっている。ももこがいたら、ももこと散歩している時間をこうして過ごしていることがときどき妙なことのように思える。我に帰る時間。自分の気持ちをごまかして友だちと朝の散歩をしているのだろうか。そうは思わない。いまのわたしにとってベストな時間の過ごし方だと思う。ただそれだけでない・・・・・ということばにできない思いがあるようにも思える。・・・・・のところは自分でもよくわからない。時間がたつにつれてわかることもあるだろう。
 朝のテレビで平成という年号が30年までで終わり翌年31年から新しい元号に変わることを知り、少なからず衝撃を受けた。生前退位を望まれた天皇陛下であられるから元号がそう遠くない将来に変わるのは予想できたことだが何年からと区切られるとさまざまな思いが湧いてくる。
 個人的には父母と二匹の愛犬を亡くし、家族がいなくなりひとりになったのが平成の時代だった。平成は家族がいた時代でもある。その時代が過去のものとして遠ざかっていく、その寂しさを思った。ももこがこの家にいたのは平成27年と28年、本当に短い間だったが新しい元号に変わったらももこがさらに遠くなりそうな気持ちもある。
 思えば昭和から平成に変わったときはまだ若かったから、昭和を振返るという気持ちの動きがあまりなかったようだ。過去を振り返るよりひたすら前を見て生きていた。40代から50代はじめくらいまでは前を見ていて後ろを振り返ることが少なかったように思う。
 午後から武蔵小杉の歌会にでかける。
 先生をふくめて出席した人は11人で、歌だけ提出した人がひとり。歌はひとり2首前もって提出する。
 わたしが出した歌は

 飛行機が飛行機雲をしたがえて真一文字に切りさく冬空

 ネクタイに煙草の匂いす長かりし父の公僕人生を思ふ

 どちらの歌もまあまあ好評だった。先生は最初の歌について、飛行機は飛行機雲をしたがえるのではないとおっしゃった。「したがえる」の正しい意味は離れているものが自分の意思でついて行くことで、飛行機雲は飛行機に付属しているものだから、とのこと。
 次のように添削してくれた。
 
 飛行機が飛行機雲をひきのばし寒晴れの空を真一文字に

 わたし的には「真一文字に」の結句が好きになれない。体言止めのほうが空のひろがりが表現できていると思う。ただ、寒晴れの空という表現はいいなと思った。次のようにわたしなりに手直ししてみた。
飛行機が飛行機雲を曳きつれて寒晴れの空を真一文字に
 飛行機が飛行機雲を曳きつれて真一文字に寒晴れの空

 ネクタイの歌は直さないでこのままでいいとのことだった。

 今日詠った歌はこんなふう。

 暮れ残る空の青のグラデーション月がひとつ金星もひとつ

 背後から月の光やわらかし天然鰤買い持ちて家へ

 山並みは紫色に沈みゆき街の灯り輝き増しぬ

 仕事帰りのサラリーマンねむの木の鉢と並んで片手にスマホ

 すももの枝の向かふ一億光年分の郷愁こもる星よ

 これからの喜怒哀楽が面影薄れさせず老犬ももこ