年賀状を書いて過ごす

 今日は今年最後のゴミ出しの日なので、まだうす暗いうちから庭の掃除をした。落葉が庭や駐車場の隅などに吹き寄せらているのが気になっていた。掃き集めた枯葉は庭に掘った穴に入れたり、ゴミ袋に入れたりした。縦に長い庭を奥から徐々に道路に面した方に向かって掃除していると腰が痛くなってきた。腰を屈めずに腰をおろして掃くなどしたがそれでも腰を痛めてしまった。
 家の中にあるゴミと掃き集めたゴミを全部だし終わり、いつものように友だちとその愛犬と散歩をして家に帰ってくると腰が痛くて真っすぐ身体を伸ばすことができない。買い置きの消炎効果のある湿布を腰に張って様子を見ることにした。庭の草むしりや掃除をしばらく休んでいたので、腰をかばいながらする方法を忘れてしまったのかもしれない。気を付けないといけない。
 掃除と散歩以外は身体をあまり動かすことなく過ごした。午前中、千葉から軽トラックに野菜を積んで売りに来る農家の移動販売で、ほうれん草や小松菜、大根、トマトを買った。葉物野菜を3把も買った。量は多いが料理するとそんなに多くない。
 午後は自分の部屋で年賀状を書いた。ストーブをつけてあたたかくして。18枚ほど書いて残るは10数枚。ああ、今年もこうして1年が終わっていく。空しいなどということばでは言い表せないほど空しい。辛いことや悲しいこと、苦しいことが振りかかって動揺してもなるべく淡々と生きてきたがそれも限界に近づいてきたような気がする。
 今年の8月に死んでしまったももこ。1年後5ヶ月あまりしかこの家にいなかったが、わたしのなかではももこはまだそばにいてくれる。心の中でときには声を出して話しかけながら生活している。死んだももこはどんなわたしの問いかけにも応えてくれる。
 今日もももこのことを「あの犬はどうしたの?」と聞かれ、死んだことを話した。「寂しいわね」と言ってくれた。短い間しかこの界隈を歩くことができなかったが、ももこがいっしょうけんめい歩いていた姿を覚えている人は多い。ほんとうにももこはいっしょうけんめい歩いていた。腎不全や脳の病気が悪化してからも何とか歩こうとしていた。あのももこのがんばりを思い出すと胸がしめつけられる。

 音もなくえさを探せる鳩たちがふいに現れ驚かされぬ

 年の瀬に乾燥芋をいただいてほどよい重みの人のぬくみ

 雨の色を吸いこむやうあぢさいの花は梅雨につやめき増しぬ