青空に白い雲がゆっくりと漂っている。昨日の日曜日はそんなのどかな冬の一日だった。こんな日に交通事故にあう人もいれば、命を失う人もいるにちがいない。その日がどんな日であっても無事に過ごせたことを感謝したい。
駅までの道のりは気持ちよく歩き、私鉄とJRを乗り継いで表参道に着いた。明治神宮の社務所で月次歌会は開かれる。
12月の歌会の当座は「飾り」。講師は栗木京子さん。
12時50分までに題詠した歌を各自提出した。参加者は72名である。
当座の歌を選歌して先生が講評する前に、毎月募集する明治神宮献詠歌の講評があった。預選、次点、佳作,選外佳作が選ばれ、最初の3つはすべて先生が講評し、最後のは会場に来ている人の歌だけを講評する。
わたしが詠んだ歌が選外佳作に選ばれ、先生の講評を拝聴することができた
自作が自分以外の人にどう読まれるかはとても興味深く、自分の歌を客観的に読むための訓練にもなる。
極東の島の片隅ヒヤシンス植ゑし花壇が春を待ちをり
先生に新仮名使いを旧仮名使いに直していただいた。極東という大きなところから島、片隅、ヒヤシンスへ視点がフォーカスしていき、そのファーカスの具合がとても自然でいいと言っていただいた。これはわたしが意図していたことなので、読み手に伝わったことがうれしかった。ヒヤシンスの球根には死んだ老犬ももこへの思いを重ねているので、この歌が評価されたことが二重にうれしい。
当座「飾り」で提出した歌は反対に先生に歌の意味が伝わらなかった。これは歌い手であるわたしのミスである。思いが強すぎて相手に伝わるかどうかを吟味することができなかった。
年ごとにクリスマスの飾り増えぬ振りかへれば年々(としどし〉の思ひ
自分の歌に注釈を入れるのはどちらかというと好まないのだが、あえて語ってみたい。
先生はこの歌をクリスマスシーズになった街のクリスマス飾りのことと解釈されたのだが、わたしはわが家のささやかなクリスマス飾りについて詠ったのである。父親が他界してから柴犬レオと2人っきりになり、その寂しさを埋めるように、またレオと過ごす時間を大切にしたいとの思いからクリスマスの飾りを買って家に飾るようになった。毎年少しづつ買い足していったその年のクリスマス飾りを見ると、その年年にどんな気持ちだったか思い出されるということを歌いたかった。この思いはまったくこの歌では伝わらなかったのである。「年ごと」と「年どし」は同じ意味で繰り返す必要がないということも先生に指摘された。
なんとか自分で添削してみよう。こんな感じかな・・・・・・。
ふり返ればクリスマス飾りわが家に年ごと増えぬ思い出重ねて
今日は午後から近くの病院で血液の再検査を受けた。年に一回の健康診査で血糖値の1〜2か月の平均値を表すヘモグロビンA1cが高めだった。医師からは12月半ば過ぎといわれたので一か月半のあいだを置いて再検査をした。
検査の結果はちょっとショックなものでヘモグロビンA1cの数値はまったく変わっていなかった。さらにBーアミラーゼの数値が高く、さらに詳しい血液の検査をすることになった。血液は採取してあるのでその血液をさらに詳しく検査するようだ。何の検査をするのかは聞かなかった。
二度三度鳩舎近くを鳩のむれ小さく回り飛び去りたり
空を飛ぶよろこび歌うやうなり羽根光らせて鳩ら旋回す
お供えの犬用クッキ―買いて家路たどれば犬いるごとき思い