昨日は老犬ももこの百か日

 少し前から昨日(12月3日)は8月に他界した老犬ももこの百か日だと思っていたが当日になり忘れてしまった。
 今朝目が覚めてそのことに気づいた。ももこが死んで百日たったのだな。季節がまったく変わってしまったことに呆然とする。わたしのなかではももこが闘病していたあの暑い夏がまだ生々ししく記憶に残っているのに。思い出そうとすればどんな些末なことも思い出せそうだが、時とともに薄れていく記憶があるだろう。そのことが無性に哀しく寂しい。昨日の出来事のように鮮明に思い出したと言っても、ももこが昨日いたわけではなくももこが昨日いてくれたらどんなにいいだろうかと思う。
 午前中は庭に出て木槿を2本、名無しの常緑樹を1本剪定した。剪定枝は短く切って束ねたり、ゴミ袋に入れ、すぐ後始末した。庭の木々は葉が落ちたり、短く切ったりしたので見通しがよくなった。ももこがいた夏とまったく違う風景になり寂しさが深まる。
 
 晩夏から初冬へと季はめぐり愛犬の百か日迎えり
 わが犬の百か日昨日のことと思い出づる朝の目覚めに
 慟哭にけじめつけるとふ百か日 時の過ぎゆく悲しみは消えぬ
 
 モミジの葉赤黄色と染めわけて秋しんしんと百草園

 あなうらにやわらかなりモミジの葉散りしいて山道いざなうごと

 深紅の葉まばらに残りて青空にみつばつつじ枝ひろげおり

 牧水が訪れたりし百草園 山深き地にありきを思ふ

 中身よりキティちゃんのポチ袋好きな甥の子イヌも好きなり

黄色の葉は木槿の黄葉
庭をいっとき明るくしてくれる

ももこの写真を額縁に飾った
ももこがこの家からいなくなり飾る写真が少しづつ増えてきた
不在を埋めるように、こころの空虚から目をそらすために

ももこの写真とももこがいた時描いたスモモの絵を飾った