休養につとめる

 朝は空気が冷たいが陽射しにあたるとあたたかい。いつものように老犬ももこの友だち犬をともなって飼い主さんといっしょに散歩した。ももこが一回だけ歩いた近くの大学の敷地内を歩いてUターンするコースだ。ももことこの道を歩いたのは一回だけでその時も同じメンバーだった。あれからわたしひとりだけで何回もここを歩いたし、2人と一匹でも何回も歩いた。なんでももこがいないのだろうかとそのたびに思い、寂しい気持ちになるがそれでも歩きたい道。
 昨朝は同じように歩いたがもっと短い散歩だった。家に帰り、雪が降った後の庭に落ちた柿や梅の落葉を掃除した。地面に張り付いた葉を手ではがしたりするなど、乾いているときより何倍も大変だった。掃除を終え家の中に入ると手が冷たく身体が冷え、疲れが出て辛くなった。
 昨日の金曜日はそんなことでほぼ一日中、自分の部屋にこもり布団に横になったり、ときどき身体を起こして本を読んだ。お昼ごはんは居間で食べたがそれ以外は休養につとめた。読んだ本は斎藤茂吉の「万葉秀歌 上巻」で上下巻で万葉集の短歌のほぼ一割を紹介している。政争の犠牲になって死に至らされた皇子などに対して「死を賜った」と表現されているのに違和感を感じたが、これは政治的に上位にあるものが下位にあるものに死を与えたというような意味なのだろうか。
 万葉集の歌は歌っている内容がとても素朴というかシンプルというかおおらかというか、現代の短歌に多い屈折や曲折、複雑、飛躍が少なく、歌として詠んでいてほっとするところがある。内容はシンプルだが歌の調べはよく、格調の高い歌が多い。疲れているときは万葉集に癒されるのがいい。
 昨日、ほぼ一日中休養したので今朝はまあまあ調子がよくなった。身体の冷えもいまのところなく、このまま様子を見ることにしよう。
 夕方から高校のクラス会が開かれ、2年ぶりに出席する予定だ。昨年はわたしの体調が不安定で、ももこもいたので夜ひとりにするのが心配で出席しなかった。今年はももこがいないので心配の種がひとつ減ったが自分自身の体調が心配の種である。ももこがいた昨年がなつかしい。老犬が家に居るのであまり長い時間外出できないと周囲に言っていた。ももこが元気なときは短い時間の外出はけっこうしていて、あのくらいの生活がわたしにはちょうど良かったと今思っている。

夏の日に茗荷を探し採りたるを昨日のように思い出づる
目をやりし庭隅には茗荷の葉なく今は晩秋と思へり
おおかたの葉を落とした柿の木に夏の繁木重なりて見ゆ
飛行機が行く葉のまばらな柿の木の枝の間をしばし眺めつ
無縁の人無縁の犬がいるだけのこの世に生きるをはかなく思ふ
千日紅初雪に耐え冬の陽に咲きおさめの花見せくれる
冬の陽のぬくみともに楽しむ犬いなくひとり廊下に立つ
背をまるめ陽だまりに眠る犬思へば還らぬ日が愛しく思ほゆ
空蝉がしがみつきたる千両を一枝切りぬ正月のため
赤と黄色 千両の実ふた色を友だちに手渡す初冬の庭


近くの特別支援学校には園芸班があり、生徒さんたちが
作業学習で野菜や花苗を作っている
黄色の小菊はそこの売店で手に入れたもの

柿とソメイヨシノの木
冬に向かって9割くらいの葉を落とした


花壇で咲く千日紅
ももこがいたとき種をまいて苗を植え育てた花なので
気持ちが吹っ切れない
霜が降りると葉は枯れるが花の色は残る
ただ、この場所に春に向けて植えたい花苗があるので
いつかは抜かないと・・・・・・・