どんよりと曇りの天気だがそれほど寒くない

 テレビによると今日は満月でしかもスーパームーン(いつもより大きな満月)が観られるとか。ただ、北東北と北海道以外は天気が崩れ、観月は無理のようだ。
 昨日は朝9時前に家を出て、帰ったのは夕方6時近く。大田区文化祭短歌大会にはじめて参加した。老犬ももこが命を終えた8月の末に応募した短歌が互選賞に選ばれたので表彰を受けるためと、講師による応募作の講評を聞くためにでかけた。はじめてなのでどんなことをするのだろうという好奇心もあった。
 117首の歌を中川佐和子先生がていねいに講評なさった。どこをどう直せばいいか、その歌のどこがいいのか、わかりやすいお話だった。ただ、もうちょっと踏み込んで解釈してほしい歌もあったが、短い時間でたくさんの歌について語るわけだから望めないことのように思えた。
 わたしが投稿した歌は「手のひらに最後の鼓動残しおきわが老犬はこの世を去りき」
 最後にするか最期にするかで迷ったが、ももこが生きてきてとうとう最後の鼓動になってしまったという気持ちを表すために「最後」にした。「最期」は臨終の、といった意味が強いような気がしたから。賜った表彰状には歌が印刷されてあり、こちらは「最期の」に変わっていた。言葉の使い方で死ぬときは「最期」を使うのが正しいのかもしれない。
 短歌大会では顔見知りの歌友だちがいたので、帰りに東急池上線池上駅の近くでお茶をした。大会にはいろいろな結社に入会している人が集まっているようだが、友だちは大田区歌人が主催する結社に入っているとのことで入会を勧められたが、毎月歌を提出するのは大変だからとことわった。
 家に帰る前にももこにお供えするおやつ(クッキー)をいつも買っていた店で買った。表彰状とともにももこの霊前にお供えするためだ。ももこが元気な姿を詠った歌で表彰されたかったが、犬の歌はあまり高い評価を得られない(わたしのひがみかもしれないが)。最期を詠った歌なら共感が多く得られるのだろう。ありがとう、ももこ。ごめんね、ももこ。


始発駅出た池上線西日にウィンクし大きなカーブ曲がりぬ
「池上線」を口ずさみ改札出で短歌大会会場まで歩けり
雪の日に大がかりな手品のごと極彩色の鳥群れるを見つ
硝子越し庭の紫陽花と見つめあえばわたしたち大家族と言へり
両の手に鉄アレイのごと手提げ持つ半ズボンが歩く冬の朝
愛犬を詠みし歌 互選賞をたまわり遺影に好物を供える
柿の葉が寒夜降りそそぎ老犬レオは朝の庭を駆け巡りき
愛犬に心奪われしわれなれば人であることにも疲れたり

 東急池上線の最初の歌は蒲田駅から出た電車を駅のホームから見て詠んだもの。大きなカーブを曲がる直前に西日があたりキラッと光り、その後車両が見えなくなった。カーブの先には何があるのか、いつか乗りたいと思っていて昨日乗ったのだがその先にはすぐに最初の駅があった。ただ、蒲田という大きな街とは違うこじんまりとした沿線の町が続き、あのカーブが効いている思った。
鳥と紫陽花の歌は記憶をもとに詠ったもの。鳥は柴犬レオと散歩している時遭遇し、ぎょっとした。南国生まれと思われる羽根の色だが寒さにも強そうなので不気味でもあった。
 現在を詠った歌と記憶をもとに詠った歌が交じりあった8首。

まだ色づきが薄い庭の千両
今年は昨年より千両の実の付き方が多いが、赤くなると鳥たちの餌になるので
早めにお正月用に切ったほうがよさそう