特別支援学校のカフェに行く

 陽射しは強めだが風がさわやかで過ごしやすい一日。
 先週の木曜日は梅の収穫が忙しく行けなかった、近くの特別支援学校のカフェに足を運んだ。学校の校門横では校内の畑で収穫した野菜や生徒たちが授業の一環として作っている陶器やクッキーなどのお菓子を販売している。野菜も園芸班の生徒たちが先生の指導のもとで栽培している。カフェも授業のひとつで人との接し方、飲み物の作り方、レジの使い方、喫茶スペースという環境の整え方などを学ぶ。
 最近はカフェを訪れる人も多く、新学期から間もなくまだ慣れない2年生たちはスムーズに注文を取ったり、飲み物を提供したりができない。前ののんびりとした雰囲気が少し変わったように思うがここに来ると誰か知った顔に会えるという楽しみもある。
 柴犬レオの散歩がきっかけで知り合った犬友だちも今日は来て、テラス席に座っていろいろ話した。パラソルが陽射しをさえぎり、風が吹き通り気持ちがいい。犬友だちは現住所はこの近くだが首都圏にもう一軒家を持っていて、自分の手で室内のリフォームを楽しみながらしている。古くなった衾にレースの花や、帯から切り取った花などの絵柄を貼り付けている。また制作途中という写真を見て、その独特な感覚を同席した男性がさかんに感心していた。犬友だちは昔、画家になりたかったが父親からそんな食っていけない仕事はダメと言われたそうで、今になって絵心が発揮できることを喜んでいる。
 この犬友だちが友だちをランチに招待したというので、わが自家製の梅干しもランチのささやかな一品として味わってもらえればと昨年作った梅干しをあげた。自分が持っているものがささやかでも役に立ってもらえればうれしい。友だちはわたしのことを自分と似ているところがあると言うがどうだろう。自分のためより人のためにお金を使いたいという友だち。わたしはそんな気持ちはほとんどないし、やはり違うと思う。そんなに他人を大切にしたいという気持ちもないし。人に対して懐疑的なところがわたしにはある。人間のある面はいいと思うが半分くらいの部分は嫌である。人のいい面を見て親しくしつつ、違う面もあることをどこかで意識している。
 友だちに梅干しをあげたのでまた梅干しを作る気持ちになれた。これは人の交流が大切なことを教えている。人とことばやものをやりとりすることで、自分のこころを動かすことができる。自分一人でいてはこころは動かないのではないだろうか。
 お昼頃から午後にかけて梅を少し収穫した。夕方近く、昨年咲いたインパチェンスの種を蒔いて育てた小苗を鉢に定植した。老犬ももこがいた夏、居間や広縁からこのインパチェンスを見てこころいやされたこともある。ももことわたしの最後の夏を見守った花なので大きく生長してせめて今年はきれいな花を見せてほしい。
 日が長くなった。まだ明るい夕方を迎え、ももこのことが思い出されてならない。この明るい夕方を昨年はももこと過ごしたことを思い出す。必死になってももこもわたしも病と闘った。
 一度だけの夏。ももこがわたしを信じてくれたことがうれしいと同時に痛烈に申し訳なく思う。何も出来なかったことを許してほしい。どんなに苦しい時もわたしを信じてくれた純粋なももこのこころは永遠にわたしの中で生きているよ。
 同時にももこのような犬がまだこの世にいっぱいいることを考えた。わたしはその犬たちに対しても無力であることを思った。わたしの力は小さすぎる。どんなにがんばってもあなたたちに届かないような気がして。

 目を上へ向ければ白き雲なんのかたちにも似ない白き雲ゆく

 その昔犬を連れて買い物に父行きし坂今日(けふ)は吾(あ)がのぼる

 せせらぎに水浴びしたる名無しの鳥 羽根をせわしくふるわせをり

 去年(こぞ)咲きし花たちの種亡き犬の思ひをのせて春に蒔きたり

 保護犬を家に引き取り登録をすませし日ブログを見むねいたむ

桃はまだ青い実のまま
青い桃の実は昨夏の老犬ももこを思い出させる
ももこは桃の実を収穫するまで家にいてくれたが闘病生活はすさまじく、ももこもわたしもどんどん痩せていった
ももこは死んでわたしの体重はもとに戻らない(いまの体重に満足しているが太っていたときのほうが幸せだったかも)
宮澤賢治の「注文の多い料理屋」に出てくる猟師のように度が過ぎた体験は人を根本的に変えてしまう
梅、スモモ、桃、そして柿・・・・どれもいなくなった犬たちの思い出が
ぴったりと張り付いていて胸がしめつけられる

花壇に初めて植えたオキシペタラム
宿根草なので根付いてくれればいいが


今年はスモモが豊作のようだ
たわわなスモモの実を見ると柴犬レオが死んだ2013年の6月を思い出し胸がしめつけられる
あの年はレオがこの家にいなくなってから熟したスモモを収穫したが辛くて辛くて・・・・・
心ここにあらずの状態で日々しのいでいた
もうあの苦しみを二度と味わいたくない