明け方、老犬ももこの夢を見た。今まで見たのは家の中にいるももこの夢がほとんどだったが、この夢は見たこともないところにももことわたしがいた。
ふたつ見てひとつは広くて薄暗い運動場のようなところに、ももことわたしがいる夢だ。運動場の隅に犬が横たわり、そのそばでしゃがんでいる人がいるがわたしはお向かいの犬とその飼い主さんだと思っている。その犬はももこより2か月ほど前に死んだ。その犬に気をとられたすきにももこがわたしから離れる。運動場の横がなだらかな坂になっていて、その先には漆黒の川が流れている。その川に向かって降りて行こうとするももこを、やっとのことで止めることができた。ここで目が覚めた。
もうひとつの夢はももことわたしが大きな森の横の広い道を歩いている。森には直立する落葉樹の高木が並んでいてその根元には常緑の椿が植えられている、変な森である。わたしは何かを思い出したように森に入り、木の根元を掘り始める。土塊の中から芽を出した球根とサツマイモが現れ、あわてて土をかぶせて元に戻そうとするが、振り返ると木の洞に横座りしていたももこがいなくなっていた。あわててももこがいた方向に行くとももこは森の横の道をわたしから離れようとするように歩いている。必死になって追いかけ、今回も何とかももこを引き留めることができ、ここで目が覚めた。
昨夜寝る前にももこの遺影を抱き締めて話しかけた。今夜は夢の中で会おうね、ももこと夢の中でも会いたいよと。ももこの遺影には何かの力があるのかもしれない。少し前も寝る前に遺影を眺めていたら遺影そのままのももこが夢に現れたから。
どちらもわたしから離れようとするももこが夢に出てきて、気持ちが沈んだ。ももこは死んでしまったのだからどのような夢を見ても正夢になることはなく、例えわたしから離れて行こうと心配することではないと思うのだが夢の中でも、ももこはわたしのそばにいてほしいのである。
夢を見ることでこの家で暮らしたももこの思い出に夢の記憶が上書きされ、在りし日のももこの姿(記憶)が変わっていくような気がするのは寂しいことだ。
今日は車で図書館に行き、予約していた本を受け取り、その足で花屋さんに寄り花束を買った。明日はももこの四十九日である。
冷えびえと秋の朝来ぬ老犬がいた夏の日をたちきるごとく
エアコンの室外機の上にわが帰り待つ植木鋏あるに気づく
パソコンの画面のサイズの愛犬を見ながら過ごすひとりの夜
老犬がまだこの家にいるごとくふるまうおかしなわたしがいる