武蔵小杉へ短歌会に行く

 今日こそ晴れ間が出ると思ったがほぼ一日中曇り空だった。つかのま薄日がさしたくらい。
 午前中は近所の家にちょっと顔を出して、老犬ももこによくしてくれた犬友だちと少し話した。友だちはご高齢の親戚の家に朝夕の散歩の途中寄って、ゴミを出したり掃除や食器を洗うなどの世話をしているのだがこの家がわが家のすぐ近くにある。ときどきわたしも顔をのぞかせ、手伝うことがあればしているし、簡単なお惣菜などを持って行くこともある。
 その後は近くの特別支援学校のカフェに行き、ハーブティを楽しんだ。ももこがいる時もこのカフェが開いている日にはよく足を運び30〜40分くらいだが気分転換をしていた。
 午後は東急線武蔵小杉駅前にあるビルの2階で開かれる短歌会にでかけた。
 前回の短歌会の時に参加者が提出した各々の歌2首をプリントしたものが自宅まで郵送され、全26首から5首、自分がいいと思った歌を選んで今回の歌会に出席する。全員の歌を参加者と講師の先生が講評しながら会が進められていく。先生は作者の意図をより鮮明に表現するために歌を全面的に作り変えることもある。
 今回わたしが出した歌のうち1首が先生によって作り変えられた。先生は着想はいいとほめてくださったが、言葉の並びがよくないとのこと、つまり歌になっていないということか。

 白花の曼珠沙華むれ咲ける水辺こどもらは何かをさがす

 此方がわたしが作った歌。車から見た光景である。暑い9月だったが白い曼珠沙華と水辺を涼し気に思い、秋の寂しさも感じた。そのすぐそばでこどもたちが下を向いて何かをさがしている。わたしの感慨などとは無関係なこどもたちの姿が印象に残った。

 先生が作り変えた歌

 曼珠沙華花白じろとむれ咲くに見向かず子らは何をかさがす

 水辺であることを入れたい気がある。見向かずということばは少し強いような気もするがこのくらいはっきりと言ったほうがいいのかもしれない。先生の歌を参考にもう少し練ってみたい。
 こんな感じはどうだろう。
 白花の曼珠沙華むれ咲く水辺に子らは何をかさがす 
 
提出したもう1首も先生が手直ししてくださったが、こちらはわたしの心の機微に関わることなので先生の直しを受け入れることはできないと思っている。



 昨日と今日こんな歌詠ってみた

 老犬と過ごせし夏の名残なり暑き夜々こもるタオルケット
 語気荒くわれを責むる電話切りしとき玄関の扉閉める母の音
 待つ犬のいない家なれど家路急ぐ待つ犬がいた記憶に引かれて
 鈍色の雲眉月を隠したり手品のように消えてしまいたり
 長々と咲き続けしがいつのまに秋海棠の花終えていたり


ももこがこの家にいる時に植えたピンク色のペンタスが咲いている
この花は亜熱帯性で寒さには弱いがももこの名前にちなんでこの色を選んだので、
できるだけ長く咲いてほしい

ももこが死んでから植えた秋桜
庭に咲く花も移ろい、ももこがいた夏が少しづつ遠ざかる