5年前の3月11日を思い出した

 霧雨のような雨が降ったり止んだり・・・・・傘が必要なほどではないが傘がないと不安になるような1日だった。
 午後になり、車で玉川高島屋にでかけた。タワー式の駐車場4階に車をとめ、いくつか買い物をしてまた駐車場に戻ってきた。エレベーターのボタンを押したとき、アナウンスが流れた。2時46分になったことを告げ、黙とうを呼びかけた。ああそうだったと思い、黙とうするがすぐエレベーターが1階まで降りてきて黙とうは中断された。
 エレベータ―の中で5年前のこの日この時間は家にいたのだと思った。柴犬レオがいていっしょに家にいた。激しい揺れが突然始まり、わたしはすぐ玄関から外に出た。外から家の中を見ると、レオがわたしの部屋の掃き出し窓のそばで横になっていて家といっしょに激しく揺れていた。横揺れだったと思う。とっさに靴のまま部屋に掃き出し窓から入り、レオを抱き上げ外に出た。
 レオを抱いたまま庭の通路に立っていたが揺れが激しく抱いていることができず。レオを地面に置いた(と記憶している)。激しい揺れが長く続いた。今まで体験したことがなかった大地震だった。底知れない恐怖が湧いてきたのを覚えている。
 揺れがおさまり家に入ったと思うがよく覚えていない。仏間に安置した父の骨壺は無事だったがお供えのお菓子が崩れ落ち、花瓶が倒れて畳が水浸しになっていた。父は2月1日に他界し、東日本大震災が起こった翌日が四十九日の法要で納骨をする日だった。
 家に入りすぐテレビをつけたと思う。テレビの画面で知らされた大津波ありさまは現実とは思えない異様な光景だった。まわりに田畑が広がる道路を車が進んでいくがその後ろから津波が襲うという光景が音もない映像でくりひろげられた。
 父の法要は翌日、予定通り行われた。一度段取りをつけた法要をキャンセルしてまたやり直すという気力がわたしになかったためもある。法要に参列する予定だった親戚のひとりが自宅の屋根瓦が落ちたということで欠席したが、無事に法要を終えた。墓地に納骨をすませ、精進落としの会席も予約した店で行ったが、大地震の翌日だったので広い店内はわたしたち一組だけの客しかいなかった。