柴犬レオと父

 レオの思い出を語りたい。父との思い出だ。父はわたしがこどもの頃、飼っていた犬を病気で死なせてしまい、それからはいっさい犬は飼おうとしなかった。
 だがレオが家に来るとだんだんレオを好きになり、ときたま散歩に連れて行ったこともある。夕方5時に流れる「夕焼けこやけ」の曲にあわせて、遠吠えをするので、2階のベランダにレオを連れて行くのは父の役目だった。レオは父のことが大好きというほどではなかったが、父のやることにおとなしく従っていた。
 母が家でお正月を過ごした後、体調の急変で救急車に乗り病院に運ばれた時、わたしは最初の夜以外は毎日、病室に泊まり込んだ。レオの散歩と食事の世話に、午前中家に帰り、午後早く病院に戻り、夕方また家に帰り、夜は病院に戻った。それが五日間続いたが、あるの夜のこと。わたしの部屋でひとり眠っていたレオが父の部屋まで歩いて行き、布団にもぐり込んだそうだ。レオもいつもいっしょに眠るわたしがいなくて寂しかったのだろう。父もレオが来たこと、レオのぬくもりに心を慰められただろう。
 母が亡くなった時、葬儀は家で行ったのだが、お通夜の席で父は最初から最後まで泣いていた。わたしもそうだった。そんなに広い家ではないので、親戚縁者だけで手狭になっていた部屋をレオがわたしのほうに歩いてきた。不安そうな頼りなさそうな顔をして、わたしのほうに行っていいのかわからないが、ここしかいるところはないという歩き方だった。レオを抱き寄せ、正座しているわたしの膝枕でレオは横になった。
 思えばお通夜の準備に忙しく、レオの散歩と食事はいつもと同じように世話したが、それ以上はかまうことができず、知らない人が大勢来て、見慣れた部屋とはまったく違う祭壇が設置された部屋など、レオには衝撃的な夜だったろう。
 告別式を家で執り行い、出棺となったが父は体調が思わしくなく、火葬場まで行けないので家に残った。
 夕方近く、母の遺骨を抱いて弟の家族たちと家に戻ると、父は庭にいてホースを使って水やりをしていた。「乾燥して(庭の木たちが)かわいそうだから」と父。母が亡くなり、いちばんかわいそうなのは父ではないかと思っていたので、この父の言葉に胸をつかれた。
 家でひとり待つ父のそばにレオがいた。レオは2日間も家でいつもとまったく違うことが行われ、きっと疲労困憊で眠っていただろう。それでもレオがいることは父にとってかなりの慰めになっただろう。父がまったくひとりで家にいたのだったら・・・・と思うと、レオがわが家族にとってどんなに大きな存在だったかと今更のように思う。


昨日スケッチした桃の実の絵に水彩色鉛筆で彩色した
桃の実を狙ってヒヨドリが訪れるが、まだ実は硬く、
甘みも少ないものが多い
それでも甘いものを狙って食い散らしている


午後、近くの等々力不動に車で行く
ここも柴犬レオとの思い出の場所
お正月はよくレオと初詣にも行ったし、
若い頃はよく歩く散歩コースのひとつだった



2008年6月のレオ、多摩川の河原で