9月最後の日曜日

 今日こそ晴れ間が出るかなと思っていたが、期待外れの曇りの天気となった。
 庭では2本ある金木犀が花の盛りを迎え、甘い濃い香りがあたりを満たしている。濃い緑色の葉っぱにオレンジ色の花の粒々がちりばめられ、小さな花だけれどきれいと思った。よく見ると小さな花は丸く可愛い塊を作っている。
 花の香りのなせることか。一昨年亡くなった柴犬レオが日常の折々に偲ばれる。今年の3月からわたしの家族となった老犬ももことの暮らしはいろいろありながらもある安定を保ち、家の中に愛犬がいる幸せを感じている。だが柴犬レオはわたしの中で変わりなく生き続け、ほとんど毎日のようにレオのお骨に触れたり、話しかけている。そういう心持ちは亡くなった父母に対しても同じである。
 今日は明治神宮歌会の日なので、午前中に家を出た。ももこは出かける前に外に出しておしっこをさせ、後は帰るまで何とかもってほしいと願うのみ。
 歌会の兼題は「壜」。あまりいい歌が出来なかった。いつもより作った歌の数が少なかったし、気持ちが集中できなかった。
 講師の先生に上の句が長過ぎ、もたついていると言われた。

 父母(ちちはは)の思い出詰まる空き瓶に今年作った梅ジャム入れる

 歌会が終わり家路を急ぐ。

 老犬が待つ家なのでおのずから急ぎ足の家路となり
 
 歌会の間に空が晴れて、電車から羊雲の間に青空がのぞいているを眺めた。家にたどり着き、玄関を開け、ももこ、ももこと呼ぶと玄関までやってきた。バッグを置いてすぐ散歩へ。どうやらももこはお行儀よく留守番をしていたようだ。
 思いがけなく晴れて、夜は中秋の名月をな心置きなく眺めることができた。年を追うごとにお月様に親しみを感じるようになった。多分、老いた柴犬レオと過ごした日々が、わたしを月に近づけた気がする。お月様はレオとわたしがかわした感情のやりとりを遠くから静かに見守ってくれたような、そんな気がする。

庭の金木犀
街のいたるところに金木犀のかおりがあった
今が花盛り

昨日買って来たチューリップなどの秋植え球根と草花の種
つりがね草(カンパニュラ)は種を蒔いてから花が咲くまで350日以上かかるようだ
秋蒔きより春蒔きのほうが咲かせやすいようなので来春蒔くことにした
右にあるのは近くの花屋さんからいただいた白菜の苗

昨日の午前中、ベッドで眠るももこ