風のないおだやかな日に

 今日は風がなく、陽射しのあたたかさが心地よい。
 午前中、今年初めて、近く特別支援学校に足を運んだ。校内にカフェがあり、授業の一環として生徒さんたちが先生の指導のもとに注文を取ったり飲み物を提供している。
 昨年は月に数回、足を運んだ時もあったが今年は今日が初めてだった。校門近くにはパラソルと小さな台が設けられ、校内にある畑で収穫した小松菜を販売している。採りたての小松菜を二束買った。カフェでは珈琲を注文。丁寧に一杯ずつ入れてくれた美味しい珈琲だ。

カフェの看板の後ろに、販売の台が置いてある

 昨日は久しぶりに等々力不動尊まで歩いて行った。道すがら一昨年亡くなった柴犬レオのことをあれこれ考えた。レオとこの道を歩いたのは7〜8年前のことである。散歩コースの中でも距離が長いので、10歳を超えてからはあまり歩かなかった。いちばん歩いたのは10年以上前のことだ。この道のりをレオとわたしは楽々と歩いていたことがあったと感慨深くなった。現在のわたしにとってもそんな楽な感じはしない。多分、歩くことが以前より少なくなったからだろう。
 等々力不動尊の本堂がある境内、本堂の下にある菩薩像の祠がある桜の境内、等々力渓谷や渓谷の傾斜を生かした日本庭園・・・・・・・どこにいても柴犬レオの面影がちらつく。アップダウンの激しい地形を二人でよく歩いたものだね。レオもお母さんも元気だったね。
 一人で急な階段を下りたり上ったりしながら、レオもいっしょに歩いていた時があったことに驚きさえ感じる。犬はもともと野山を駆け巡り、群れで猟をして生き延びてきたのだろう。長い距離を移動するのは猟に不可欠な能力で、若い頃や壮年のレオは犬の本能のままに歩くことに喜びを感じていたはずだ。だが歩くことがままならなくなってからは、どんな気持ちになったのだろう。自然界なら食べ物を取れなくなったら淘汰されるが、レオは人間の家族といっしょなのでそういうことはなく食事の世話も下の世話もある。だが犬としての本能はあるわけで、最後まで何とかして立ち上がりたいし、歩きたかったのではないか。
 レオのことをいくら愛しても、人間と犬という違う動物ゆえの壁はあるにちがいない。理解しようとしたが理解しきれないところもあった。でも愛した。今でも愛している。

桃の木の下で芽を出したクロッカス
横に桃の種


日本水仙の花
今年は3本しか花芽が出なかった
この花は2本目の花