午前中は病院へ、午後は庭仕事

 朝の気温が下がったが、冷え込みは強くなかった。花壇に霜柱が立たず、霜も降りないので植えた草花が青々としている。
 昨日は身体が冷え、特に手が冷たくて調子が悪かったが今日は治って体調はまあまあ。お昼前に車で、7年前の1月12日に母が他界した病院に行った。病院に到着し、マスクを持ってこなかったことに気づいた。いちばん必要なときいつも忘れしまう。
 母が7日間入院した9階の特別病棟へ。エレベータを降りると東棟と西棟をつなぐ廊下があり、窓から外の景色が眺められる。富士山は見えないが遠くの山並みがくっきりと見え、まるで東京が広い盆地のように思えた。母は看護師さんがいるスタッフルームにいちばん近い個室に入院した。窓からその部屋の外観を見ることが出来る。わたしはその部屋に置いてあった椅子に借りた寝具を敷いて5日間寝泊まりした。母が生き続けていたら何週間でも寝泊まりしただろう。6日目も泊まるつもりで、柴犬レオの散歩を終え病院に車を走らせ着いたと同時に、母のそばに付き添っていた弟から母の死を知らされた。
 その夜、病院から家に戻った母がいつも寝ていたベッドに安置されると、レオが母の帰りを喜んでベッドの上に飛び乗った。わたしは大きな声でレオを叱り、レオはその声にびっくりしてベッドから降りた。あの時、レオにもっと優しく接してあげればよかった。レオは母が救急車で運ばれたとき、同じ部屋にいて見ていたし、その後ずっと家にいないことを心配していたにちがいない。母がいつものベッドに戻ってきたのを見て、どれほど喜んだだろうか。わたしに叱られ、どれほど傷ついただろうか。ごめんね、レオ。
 これを書きながら涙が止まらない。レオは家族の一員として、家族の死に否応なく直面した。その心の中はどんな悲しみ味わったのだろうか。レオは人間のことばがすべてわかるけではないが、わたしのことばで母の死を伝えてあげたかった。何も話さなかったことを悔いている。
 病院の帰り、ホームセンタ―に寄り、園芸資材をいろいろ買った。腐葉土有機化成肥料、寒肥、ミニスイセン'テタテートのポット苗、ラナンキュラスの花苗など。家に帰り、寒肥の袋を開け、花木に肥料を施した。袋を抱きかかえるようにして庭を歩き、オカメ桜、紫陽花の根元に手でつかんだ粒状の肥料をばらまいた。どちらも柴犬レオとの思い出につながる花だ。


昨日の暖かさが効いたのだろう
庭の蝋梅の花が咲きそろってきた
いちばん最初に咲いた花はどこか寂しげに見えたが
花数が多くなると花たちも寛いているように見える