遅咲きのツツジの剪定、読書も少し

 朝は曇っているが薄日が差す。蒸し暑い。朝食を食べる前に遅咲きのツツジの剪定をした。椿の横に植えた大株のツツジと、通路沿いに植えた大刈込のツツジ群である。大刈込も大株ののツツジも、もう10年近く花つきがよくない。全面に花が咲けば見事だが、ちらほらとしか咲かない。それでも父が残した木でもあるので、花後剪定〈刈込み)を行い、少量の肥料をやる。
 大刈込はまだ残っているがひと汗かいて刈り込みを終えた。パンケーキとキーウィフルーツの朝食を食べた後、残りを刈り込んだ。午後は昨日、剪定した柘植の木に薬剤を散布した。小さな葉っぱの先端に葉巻虫がついて、せっかく新緑がきれいに見えない。毎年、葉巻虫が発生するのでもっと早くしたほうがよかったが手が回らなかった。
 庭仕事の合間に本を読んだ。昨日、図書館より借りた。若い頃、よく読んだ藤原新也氏の本である。ある新聞社が「藤原新也と表現」というトークショーを企画したので、応募したところ抽選で参加できることになったので何冊かの本や写真集に目を通しておこうと思ったのである。
 今日読み始めたのは『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』という本で、収められた14編のうち13編が地下鉄に置かれるフリーペーパーに連載されたものとのことだ。いちばん最初の「尾瀬に死す」を読んで、この本を読むことになってよかったと心から思った。人は誰でも自死だという見方。今はの際に、死にゆく人はそばにいる誰かのことばや、自らの力で生への執着を解き放つことで死を受け入れる。これを自死といっているようである。
 母の最期を思った。病院のベッドに1週間だけいた母は、最期を迎える前に一度意識を取り戻した。夜中のことである。病室の暗さ〈ほの暗い感じ)を母は家にいて朝、目を覚ましたが雨が降っているから暗いと勘違いした。雨?雨なの?と何回もわたしに聞いたのである。わたしは雨でなく、夜だから暗いのよと答えた。母は元気な時、雨の日と休日以外は散歩に出て、近くのお店でコーヒーを飲みながら店の人やお客さんの話を聞いたり、ときには話に加わるのを楽しみしていた。雨が降っているから今日は外に行けないと、病院で目が覚めたとき思ったに違いない。母にとって、散歩に行くことはいつもの日常が何事もなく続いていることと同じ意味であり、生きがいだった。
 今はの際で、母の生への執着は、いつもと同じように散歩に出たい、あの店に行きたい、だったのである。母は雨が降って困った、困ったとろれつのわまらない言葉で言った〈呼吸不全で血液中に二酸化炭素が多くなり、脳がもうろう状態になっている)。
 少したって、わたしは母の手をにぎった。「お母さんのこと大好きだから、ずっとそばにいるよ」と言った。母はわたしの手を握り返し、こういうことでしょ、と。その後、母は昏睡状態になり、二度と意識が戻らなかった。声をかけても返事をしなくなった。
 藤原新也氏の「尾瀬に死す」を読んで思ったことは、わたしが母に語りかけた言葉は母の生への執着を解き放つ役目をしたのではないかということだ。父とわたしと家にいても、口数の少ない家族とあまり話すこともなく、わたしはわたしで柴犬レオに夢中で時間があればレオと過ごすことを優先した。そんな母にとって、散歩に出ることは息抜き以上のものだった。いつもの店に行って、元気な姿を見せて安心させたいという生への執着から母は、わたしがずっとそばにいると言ったことで解き放たれたのではないだろうか。そうか、安心して眠ってもいいんだな、と。
 母に言った「ずっとそばにいる」。わたしは最期の時、母のそばにいてあげることができなかった。だがあれから6年以上がたったが心の中ではずっと母のそばにいるのである。


斑入り葉の杜若が咲き始めた
ずっとアヤメだと思っていたが、
花にアヤメ模様がないから、杜若のようだ


剪定後の遅咲きのツツジ
周りの木々が大きくなって日当たりがじゅぶんでなく、花つきが悪くなったようだ