桜の落ち葉の絵を描く

 朝から曇りでお昼頃、日が射したがその後は雲が厚くなり、寒くなった。
 午前中、先日こちらに遊びに来た友だちより電話があり、1時間以上話に花が咲いた。介護の話や絵の話など。友だちも上京した際、チューリッヒ美術館展を観に行ったので、展示してあった画家のゴッホゴーギャン、ルソー、彫刻家のジャコメッティの話で盛り上がった。
 近くの花屋さんに、プランターや花壇に植える花苗と培養土を買いに行こうと思ったが、なんとなく元気が出ないので別の日にすることにした。
 その代りというわけではないが、庭で拾ってきた桜の落ち葉の絵を描いた。落ち葉の絵は柴犬レオがいた頃、2012年の秋に初めて描いて、それから毎年描いている。落ち葉の絵はわたしの中でレオにつながっている。レオがいた2年前の秋につながっている。落ち葉の絵を描くきっかけを下さった、あるブロガー方にもつながっているような気がする。
 今年の絵は桜の落ち葉に、もう一つ、庭で採ってきた秋海棠の種を加えて描いた。秋海棠の花はイヤリングのように下垂して咲くが、種も同じように下垂している。三角の形が可愛らしい。
 絵を描いた後、パソコンの保存してあるレオの写真を見た。ブログを始める前の2010年秋から2011年夏までの写真である。毎日は撮っていなかったがかなりの頻度で、たくさんの写真を撮っていた。レオとわたしの日々が写真から伝わってくる。
 2010年秋は父が病院に入院していて家に帰る準備をしているときだった。父は12月初めに帰ってくる。父が家に帰ってきてから2か月余り、撮影した写真の少なさが父の介護の大変さを語っているようだ。2010年の大晦日に数枚、2011年の元旦に数枚レオを撮っていて、レオといっしょに父が家にいた2か月をがんばったのだなと思った。
 写真を見ることでレオとの暮らしぶりが想像できた。2011年秋にブログを書き始めてからは、ブログにレオとの日々が綴られている。特に最後の方の1年くらいは、細かく記録している。ただ、レオの最晩年の半年ぐらいの間に書いたブログは読むことが出来ない。ときどき自分が読めない気持ちになるような記録を残さなくてもよかったのではないかと思う。それよりレオと過ごす時間に集中したほうがよかったのではないか、と。ただ、レオとの生活を綴るブログはわたしにとって支えでもあった。負担に思うこともあったのだが、やめることはできなかったかもしれない。
 今となってはどうしようもできないことなので、あまり考えすぎるのはよくないが、パソコンに向かっているよりレオのそばに居たかったとときどき思う。


太めの鉛筆で下描きして、水彩色鉛筆を直に塗って
その上から水を含んだ筆でなぞった
右下に描いたのが秋海棠の種子

レオ君、君がいたときと同じように今年の秋も
落ち葉の絵を描いたよ
落ち葉が散る庭でいっしょに過ごせればいいのにね