雨の土曜日は柴犬レオとのんびり過ごす

 こんなふうに書くと、レオがこの家にいるような気になる。6月はレオの命日がある月だが、あまりのんびりと家で過ごすことがなかった。今日は雨が降っているので庭仕事は休み、外出もしないでレオのことを考えたり、偲んで過ごすことにした。
 そう思ったら、朝からレオの不在がいつもより心に迫ってきた。わたしにとって掛け替えのないレオという存在。父が他界してから、レオを生活の中心にして、家でレオといながらできることをあれこれ楽しんできた。庭木や草花の手入れもそうだし、梅を収穫して梅干しなどいろいろなものを作ったのもそう、絵を描くこともそう、アップルケーキやガトーショコラなどお菓子作りを試みたのもそう。レオがいることを前提にして、築き上げてきたわたしの生活がレオがいなくなることで危機に瀕した。レオ亡き後、心の中にレオを住まわせて、前と同じような生活を続けようとしてきた。確かに前より外出が自由にできるようになったので、行きたいところを訪ねたり、友だちを会うことは多くなったかもしれない。いや、友だちと会う頻度は前と変わらないが、自分一人で行きたいところに行くようなった。
 レオ亡き後の生活を振り返ると、かえってレオの不在が動かしがたく悲しみをもたらした。朝から号泣してしまい、なかなか気持ちがおさまらなかった。
 悲しみの底なし沼にはまり込みそうになった寸前、気持ちがふと動き、何かしないと、と思った。レオの写真の整理をしようか。2冊目の写真アルバムを作りたい。それもいいが、絵を描こう。レオの仏前に手向けた紫陽花の花の絵を描こうと思った。装飾花が多い手まり咲きの紫陽花は、かなり描きにくい花のように思える。だが、レオがいた頃も何度か描いた花だし、レオがこの家から去ったときに、手向けの花のように庭で咲いていた。思い出のある花なのである。
 花瓶の紫陽花を活け直して、花の位置を少し変えて、鉛筆でスケッチを始めた。午前中、2時間くらいでスケッチを終え、お昼ごはん(ソース焼きそば)を食べ終わってすぐ、彩色を始めた。これは2時間ほどで終了。紫陽花は何回描いても満足できる絵が描けないが、それでもレオに手向けた2014年の紫陽花を描いたことで多少なりとも心がやわらいだ。


レオがいた頃から使っていて、レオの絵も何枚か描いたF4サイズのスケッチブックがこの絵で描き終えた
また新しいスケッチブックを買って、レオの絵も何枚か描こう
鉛筆でスケッチして、水彩色鉛筆で彩色した