昨日は横浜トリエンナーレに行った

 10月最後の日は雨模様の天気。ときどき小雨が降ると
 昨日は気持ちのいい秋晴れで、前日から行こうと決めていた横浜トリエンナーレに足を運んだ。8月1日に開催してからずっと行きたいと思っていた。夏は暑いので避けて9月になったらと思っていたが、現代美術の展示館ということでどこかで二の足を踏んでいたのかもしれない。
 この機会を逃したら次は3年後になると思い、でかけた。結論を先に言うと、もっと早くいけばよかったと思った。会場が4つに分かれ,展示作品が多いので1日では見切れなかったのである。鑑賞しながらもじっくりとこの作品と向き合おうという気持ちになれないことが多かったのは、会場の広さ、展示作品の多さに対してわたしが提供できる時間が少なかったことによるだろう。
 朝早く(といっても10時過ぎ)家を出たのだが、会場に近いみなとみらい駅に行く東急線が何かの事故でダイヤが大幅に狂い、やっと乗れた電車は通勤ラッシュ並みの混雑で、到着もだいぶ遅れたことも予定外だった。電車に乗っているだけで疲れ、着いた時はやれやれという感じ。電車に乗ることはそんなに多くないのだが、わたしが乗る日は何かの事故が起こることが多いように思うのは考え過ぎだろうか。それとも今は相互乗り入れなどで、各路線が繋がっているので、かなり広範囲に影響が及ぶとも考えられる。
 横浜トリエンナーレのいちばん大きな会場は、横浜美術館でここで入場券を買い、入場。まず目に飛び込むのが巨大なすり鉢状のガラスと骨組みの構築物で、底にたくさんの絵画やら立体作品やらが重なっている。階段みたいのがあり、上からちょうどどなたかが自分の油絵を落とす〈捨てる)ところだった。ひらりと絵が宙に舞い、落ちると拍手がおこった。へえー!!アートのゴミ箱なのだろう。
 いくつもの作品の前に立ち止まり、これはいったい何だろうと頭をひねるがわからないものも多かった。ただ、作品と対し、何かを感じたり、何なのだろうと考えるだけでもいいような気がした。現代美術のアーティストに関してほとんど知識がなく、現代美術についてもほとんど知らない。若い頃、一時は何人かのアーティストの作品展に足を運んだことがあり、興味はあるのだが長い間遠ざかっていたのである。ヘッドフォンで聴くガイダンスもあるが、何の知識もなく何を感じるかを楽しみたかった。
 いくつもの広い展示会場に作品が展示され、順路に従って移動し鑑賞するが、ある会場の入口近くに壁一面の大きな額があり、小さなポートレート写真が何段何列にもわたって規則正しくレイアウトされている作品があった。写真はこどもや若い人のものだが、これはどのようにグループ分けされた写真なのだろうと立ち止まって考えた。顔が似ているようでもあり、似ていないようでもある。見ればみるほどわからない。この作品はダリン・サイモンという女性のアーティストによってつくられたものだが、これは家に帰り資料を読んでわかった。他にも額の大きさは大小あるが、ポートレート写真がレオアウトされた作品がいくつも展示されている。枠だけで、中の写真がないもレイアウトされている作品がある。これは死んだ家族なのだろうかと思った。
 家で読んだ資料でわかったが、枠だけのものは撮影したときどこか別の国に行っていて撮影できなかったもののようだ。資料によるとこどもや若者の写真群は、ウクライナ児童養護施設で暮らす子供たちのようだ。ガイダンスを聴きながら作品を見ればすぐその場でわかったので、現代美術に限り、ガイダンス付きもありかな。

 朝方は雨模様だったが、お昼頃から薄日が出て、気温が上がった。夕方近く、車で花屋さんに行き、墓参用の花と植え替え用の花苗を買った。お寺で開かれた十夜法要は欠席したが、お塔婆を2本頼んだので、代金を手渡すのとお墓参りを兼ねることにした。お寺に行く途中、ハローウィーンの衣装を着た子供と母親たちの集団の横を通った。今日はハロウィーンなのか。柴犬レオがいた頃のハロウィーンの日を思い出した。
 

横浜美術館前に展示された作品


ゴミ箱アート
上からいらない(?)絵などを捨てることができる
捨てるパフォーマンスも作品の一部のようで楽しい



こどもの写真群のアート作品
いったい何のグループ分けだろうかと考えて、考え付かなかったのは想像力不足と反省


横浜美術館から無料バスで10分くらい所にもう一つの会場、新港ピアがある
そこから眺めた発電用風車のある風景が印象に残った


バスで2か所巡り、あと一か所は疲れてあきらめた
最後に横浜美術館を後にするとき、ランドマークタワービルの横に
月が出ていた