とりとめもない今日のこと

 朝は気温が下がったが日中はおだやかな晴天となった。今日はスケッチブックを持ってでかけようと思っていたが、朝、少しだけするつもりの庭木の剪定をやり過ぎて、家を出る時間が遅れたので取り止めた。鼻水が出て身体が冷えていたことも外出をためらう理由のひとつ。着替えて、必要なものを揃えて準備が整ったところで、やめたのである。
 朝方、夢を見た。テーブルに母とわたし、他に何人がいて食事をしている。どうもカレーライスらしい。向かいに座っている母がわたしのそばに置いている鍋をさして、「それを取って」と言うので渡すがそのとき、鍋の中に汁物が入っているのを見る。ここで夢は終わる。亡くなる前の年の母はカレーライスが食べられなかった。それを知らなかったわたしが昼食にカレーライスを作ってお皿に盛って、仕事にでかけ、帰ってきて手が付けられていなかったのを見て食欲が落ちた母にショックを受けたことがあった。そのことが夢になったのかもしれない。
 身体が冷えているので、おろし生姜をたっぷり入れた甘酒を飲んだ。そのためか鼻水はおさまった。午前中は、柴犬レオが晩年を過ごした広縁で、アマゾンに注文した「現代短歌」(永井和宏著)を読んだ。木漏れ日がさすので、本に影ができる。影を避けて本を読んだ。庭を見ると、柚子の枝からきらきら光るものが落ちてゆく。雲一つない晴天なのに何だろう。小さな小さな水滴のように見える。光のしずくのようにも見える。外に出て確かめると、枝に止まっている黄色い小さな虫から光るものが線のように落ちてゆく。つまりは排泄物?秋の光が降り注ぎ、虫たちの落とし物を輝かせたようだ。
 庭の椿はもうつぼみをたくさんつけている。そのつぼみを見て、うるうるした。庭に根を下ろし、ある時期が来れば必ずつぼみを付け、ある時期が来れば必ず花を咲かせる。椿はそのことにいっしょうけんめいなのである。もちろん、椿は意識はしていないが、太陽の光を受けて光合成をし、葉を育て根を張り、花芽を作り、花を咲かせる。このことを繰り返す。この庭に根を張っていれば百年だってそうするだろう。だがこの庭は百年はないだろう。椿もいつかは幾度も幾度も繰り返した生の営みを終えるのだろう。それまでは秋になればつぼみをつけて、冬から春に花を咲かせ、花が終われば地面を花の色で染めるほど華やかに落花するのだろう。
 最近涙もろくて困る。テレビでサバンナに生息する野生動物が出てくるのを見ると、涙が出てくる。シマウマとかガゼル。4本の足で生きている動物たち。彼らも意識はしていないが一生懸命生きている。地球温暖化とか森林破壊など彼らは知らないだろう。草食動物は大地と水と草があれば生きていく。ゾウが草を食べているのを見て、あまりおいしそうじゃないなと思った。動物園で飼育されればもっとおいしいものが食べられるが、やはりサバンナで生きる方がいいだろう。広大な自然を必要とする野生動物がいつまで地球で生きられるのだろう。大地が乾燥し、食べる草、飲む水がなくなるなどということが起きないように、祈りたい。


小菊が咲き始めた



この庭で10年ほど前から咲いている古参の小菊


上の三種の小菊は同じ鉢に寄せ植えしている
ぜんぶさし芽で育てたものだが、
花が終わった時期にさし芽するので
どの花の枝なのか分からず
いちばん多く残したい菊の株数が
少なくなってしまった