午後は美容院へ

 朝は空気が冷えて初冬のような風が吹いていた。柴犬レオのいない2回目の秋を迎え、冬が来るんだなと感傷的な気持ちになった。
 居間の低いテーブルの上に、母の写真とレオの写真が写真立てに入れて置いてある。昨年、レオが最期を迎えつつある頃(多分1〜2週間前)、連夜、眠りが不規則で夜中の間ずっと起きていることもあった。レオもわたしも苦しい時期だったがある朝、テーブルの上の母の写真が目に飛び込むように感じたときがあった。写真の母は近所の八百屋さんの店先に座って、かすかな笑みを浮かべている。写真の中の笑顔はいつ見ても変わらないが、その朝は母の笑顔をまじまじと見つめ、のんきな何の屈託もない、おだやかな顔が心に沁みてきた。毎日見ているがその朝は何か違う風に見たのである。今思うとわたしは母に助けを求めていたように思える。レオがどうにかなりそうで、最後を迎えそうでわたしは怖かった。レオがいなくなるという、迫りつつある現実に対してわたしは無力だった。
 そんな心のにっちもさっちもいかないとき、母の優しい笑みにすがりついたのかもしれない
 レオが亡くなり、母の写真の横に、眠っているレオの横顔の写真が置いてある。写真のレオは顎を床に伸ばし、手を顔の下に入れている。つむった目の縁から茶色い涙焼けの跡が下に流れ、まるで泣いているようにも見える。緩んでいる口角が辛そうにも見える。最後の頃のレオを思い出させてくれる写真が、居間で過ごすわたしを見守っている。
 午後は車でいつもの美容院へ行った。寒くなる季節だが思い切って短くし、いつものカラーで白髪をソフトに染めた。車の助手席には、レオの写真を載せている。お母さんは美容院に行くけれど、よかったらレオも来る?


昨日は写真を見て、近くの駅舎の絵を描いた
筆のタッチを生かした絵を描いてみようと思ったが
思ったように描けない