台風が近づく日、掘り炬燵を出す

 東京は朝から曇っている。お昼前から小雨がときおりぱらつく。 
 台風19号が宮崎県を通過中である。18号より西寄りの進路を取りそうだ。東京は台風の東側にあたり、風が強くなりそうだ。
 2011年10月の台風は、ものすごく風が強く、庭木が南風でもみくちゃにされ、吹き返しの風で北側に向いている台所の扉が風圧で引っ張られた。梅の太い枝が何本かねじり切られた。今回の台風はどうだろう。深夜に風が強くなるのは嫌だな。
 2階の屋根に取り付けたパラボラアンテナから電気コードがはずれて、屋根から垂れ下がっている。工事をした電気屋さんは、祭日なので休業しているのか電話をしたが出ない。18号の台風でコードが外れたのかもしれないが気が付いたのは今朝である。いまのところ、BS放送は普通に見られる。電気屋さんから後で電話があり、家まで見に来てくれた。台風が過ぎた後、何らかの処置をしてくれるとのこと。
 気温が下がり、寒いので早いと思ったが掘り炬燵を出した。例年だと10月末から11月初めに出している。8年ぶりに会う友だちがいて、来週家に遊びに来る予定なのでそのためもある。
 掘り炬燵を出したりしまったりすると、柴犬レオのことを思い出す。寒い季節、こたつ布団の上でぬくぬくと眠っていた。安心しきった気持ちよさそうなレオの顔を眺めるのはわたしの大きな喜びだった。炬燵の上にノートパソコンを置いて、キーボードを打っていると、炬燵と座っているわたしの間に入って来て、邪魔をしたこともよくある。わたしがパソコンに向かっているのが嫌なのである。レオには嫌な思いをたくさんさせたね。もしレオが戻ってきたら、一か月、パソコンなしで過ごしてもいいよ。
 毎年、出し入れは同じ手順で、そのたびに父母がいる頃も思い出す。掘り炬燵の出し入れは父とわたしの仕事で、母は隣の部屋で座って見ていた。炬燵が入ると、秋が深まり、年末が近づき、お正月を迎える。そして新年が始まる。このような同じことの繰り返しが続いたのは幸せなことだったと今なら言える。
 わたしがこどもの頃、掘り炬燵の熱源は電気ヒーターではなく、炭とか炭団だった。炬燵がいつでもあたたくなるように管理するのは母の役目だが大変だったろう。母は炊いたお米に麹を入れて、掘り炬燵の中で発酵させ、甘酒をよく作ってくれた。 
 掘り炬燵は出してもしばらくヒーターを入れずに使おう。まだ炬燵に入るのは早すぎる。


柴犬レオを偲んで歌を詠んでみた

レオよレオわたしは今でも好きだよ君も好きでいてくれるよね
いっしょに春夏秋冬過ごしき言葉話さない君だけれど
愛犬が残した骨に語りかける今日も一日終わったねと
嵐の日レオは眠るばかりなれど一人じゃないから心強かった


2010年1月、炬燵の傍にいるレオ
最後の1〜2年はこんなふうにあごをつけて眠ることができなくなった