掘炬燵を出す

 晴れて陽射しが注ぐが気温はあまり上がらない。

 陽の当たる場所に、矢車草やネモフィラカワラナデシコの小苗を移動させた。まだ小苗よりも小さな、本葉が数枚の状態だ。秋蒔きの草花は冬の寒さが来る前に根を張る時間が必要なので、なるべく早く定植したり、大き目の鉢に植え替えなければいけないがなかなかできずにいる。

 午前中は3つの部屋と広縁、廊下などに掃除機をかけた。

 せっかくのいい天気なのに、庭以外はまったく外に出なかった。

 暖房がないとなんとなくうすら寒さを感じたので、堀炬燵を出すことにした。

 掘炬燵にはたくさんの思い出がある。何しろこの家に60年近くあるものだから。

 あまり昔のこども頃の思い出はほとんどないが、父母が年老いてからは掘炬燵の出し入れを手伝ったことがなつかしい思い出だ。

 老犬ももこが逝ってから4年あまり。秋になり、ひとりで掘炬燵を出すのは5回目となる。

 今年はどういうわけか、いつもと違う何かを感じた。いくつか理由はあるがその一つが昨年10月の台風による床上浸水だろう。浸水したときは炬燵は出していなかった。その後、水浸しの畳を破棄し、新しい畳を入れてから掘炬燵を出したのである。かなりイレギュラーだった昨年に比べ、今年は例年通り10月に掘炬燵を出すことができた。そのことの感慨のようなものがある。ただ、浸水前と浸水後では百年ぐらい時間がたったような気がして、以前、掘炬燵を出したときのあの感覚が戻らないような気がする。

妙な孤独感を感じる。昔の自分と遠く隔たれたような・・・・・・。

 ただ、炬燵のある居間はわたしが家にいるときは昼間のほとんどを過ごすので、いごこちのいい部屋にしたいという思いがある。この部屋で柴犬レオや老犬ももこといっしょに過ごしているのは前と変わらない。その意味でも居心地のいい部屋にしたい。レオやももこへの愛は百年経っても変わらない。

 

遠き時間たぐり寄せればかたはらに背をまるめる犬眠りをり

 

木洩れ日にシャツの影が重なりて一期一会の秋 昼下がり

 

木漏れ日に干すシャツの影重なりて秋昼下がりわれは生きをり

 

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