朝顔の後片付け

 夏の間ずっと毎朝、楽しませてくれた朝顔。今年は成長が早く、花の時期が短めで、太く短く咲いた感じがある。そのためか、それとも残暑が短かった気候のせいか、9月に入ると花数が目だって少なくなった。一昨年も昨年も10月に入るまで、朝顔プランターをそのままにして、夏の名残を惜しんだのだが今年は早く片付けることにした。
 柴犬のレオがいる時は、毎日一輪でも咲く朝顔の花を長く楽しんだ記憶がある。レオを駐車場にトイレのために連れていくとき、朝顔を眺めると癒されたからである。
このことを思い出すのも辛い。今朝、プランターから朝顔を引き抜き、支柱にからみついたつるを植物鋏で切りながら、はずした。心の中で、夏の間きれいに咲いてくれてありがとうと声をかけた。種を蒔き、芽が出て、葉やつるを伸ばしはじめた苗をプランターに植え、格子状や行燈形につるを誘引し、つぼみを付けてたくさんの花が咲いた。成長と手入れにかかった長い時間に対して、朝顔の株を抜いて始末する時間の短さをしみじみ思った。いつものことだが花が終わった一年草を始末するとき、一抹の寂しさ、儚さを感じる。とはいっても、すでに一年草の種を何種類か蒔き、わたしの中では来春への期待が芽生えていることも確かだ。
 今日はお彼岸の中日だが、お墓参りには行かなかった。燃えるゴミを出す日なので、朝早くから庭の掃除、草むしり、朝顔の片付けなど精を出し過ぎたためだろうか。疲れが出て、お昼頃横になるといつの間にか眠ってしまい、お昼ごはんが大幅におくれた。目覚めると庭でツクツクボウシが、まだ夏は過ぎてないよと鳴いている。遅れてきた蝉が、つかの間の夏に連れていってくれたが、どう考えてもこれから秋は深まるばかり。もっと早く地中から出てくればよかったのに。


朝顔がなくなり、百日草だけが元気に咲いている


咲いたばかりの百日草
茎が長く伸びたので、こういう角度からしか写真が撮れない