ベニカナメの剪定を始める

 夏の間に繁ったベニカナメの剪定をどうしようか思っていた。お隣との境目にかなりの本数植えてあり、植えてから10年余りになるが最初は一年に一回、春か秋に剪定していた。5月と9月の2回剪定するようになったのは、2012年からである。今年は5月に切ったので一回だけにしてもいいいと思っていたが、木が大きくなり、上のほうに枝が伸びて見苦しいので切ることにした。
 午後になり、脚立を持ってきて、長めの剪定鋏で刈り込み、混み合っている枝は鋸で切り、お隣に枝が落ちそうな所は短い剪定鋏で一本一本切った。1時間余りの作業で疲れが出て、切り上げた。庭仕事は体力的に自信がなくなった。特に腕力を使う高めの枝の剪定は長い時間続けられない。ぼちぼちやることにした。
 作業を終えた後横になり、少し眠ったかもしれない。近所の犬の甲高い鳴き声で目が覚めた。何か訴えているのだが、わたしにはどうすることもできない。
 
日が落ちて短い散歩をした。家々の明かりが灯り始め、それぞれの生活が息づいているのがわかる。ふと思い出した。母が亡くなった後、柴犬レオと夕方の散歩から帰る道すがら、冬になると明かりが灯り始める時間になり、家々の明かりを一つ一つ確かめるようにして歩いていた。明りのあたたかさが目に染みた。あの頃は家に父が待っていたので、わが家にも明かりが灯っていたのだが母がいない家は明かりが消えているように寂しく思え、他の家の明かりがあたたかく感じられた。
 こんなことを考えながら、レオと過ごした時間を思い出しながら歩いた。あれは何年のことだったろう。住宅街の木々が紅葉に彩られる頃、近くの女学校まで歩いたのは。このブログをスタートさせた2011年の秋のことだった。父母亡き後、レオと暮らす日々を綴り、心のセラピーと支えになればと思って始めたブログだが、もう一人の主役であるレオがいなくなってからもこうして続けていることが不思議に思える。


今剪定したベニカナメの生垣
6本ほど切った

剪定に使った道具たち
どれも父が使っていたもの


戸棚の奥から見つけた父の愛用品を絵に描いた(油性の色鉛筆を使う)
5年前に父からこれ(タバコライオン)を買ってきてくれと頼まれ、
お店に行ったが製造中止になったと言われた
あのときはストックがあることを知らなかった
父も忘れていたのだろう