初秋のおだやかな一日

 晴れて陽射しが出ても、夏のような強さはなく、廊下に射す木漏れ日もやわらかく儚い風情がある。風もやさしく心地よい、
 こんな一日だからだろうか。朝、パソコンに保存した柴犬レオの写真を見ていたら、泣き出してしまった。2012年の夏、衰えてはいるがまだ近くの商店街を散歩するだけの元気があった頃。2013年の3月、4月、5月、6月の写真はやっとのことで生きているように見える。もう笑う元気もないレオ。2012年のレオは、ごきげんなときは笑ってくれたのに。
 ジャカランダを植えた大きな植木鉢の周りを、身体を巻き付けるようにして歩くレオの衰えを感じさせる、精根尽きたという表情の顔を見たら、涙がこぼれ落ち号泣した。どんなにか大変な思いをして生きていたのか。どんなに心細かったか。ぎゅっと抱きしめてあげればよかった。何も心配しなくていいんだよ。お母さんがずっとそばにいるからねと話しかけながら。
 過ぎたことを何度思い返しても、どうしようもできないが、ときどき思い出してしまう。わたしにできるのは心の中に住まわせたレオに語りかけながら、日々を過ごすこと。レオはいろいろな生活の場面でわたしを力づけてくれる。
午前中、犬友だちのひとりから電話があり、入院中の友だちが8月半ばに他界したことを話した。退院できる状態でなかったことを知らなかったので、突然の訃報にショックを受けたことを話したら、何も話さないことで前と同じような関係を保ちたかったのではないかしらと言われた。確かに事実を告げられたらどう受け止め、どのように対していいのか迷いが生じただろう。亡くなった友だちはわたしに負担をかけたくなかったのかもしれないと思った。


紅梅の木の根元に作った花壇
こぼれ落ちた種から芽生えたインパチェンス(手前のオレンジ色の花)が大きな株になった


きれいな青色の花を咲かせる矢車菊の芽が出た
本格的な冬が来る前に、冬越し出来るほどの大きさに育つといいが