所用があって、自由が丘へ

 朝から青空が広がり、夏の雲が浮かんでいる。久しぶりに気温が上がり、陽射しもいっぱいなので、庭の草花もいきいきとして見える。光を浴びて、大きくなるぞ、花をたくさん咲かせるぞという心意気が伝わってくる。
 珍しく朝は7時半頃まで眠り、まだ暗い早朝に目が覚めて外を歩くという〈亡くなった愛犬を思い出す〉寂しい時間を過ごすことがなかった。
 午後からあるセミナーに出席するために自由が丘にでかけた。1時間半の間、集中して話を聞くのはかなり疲れるが今日は集中できたほう。
 セミナーが終わり、自由が丘を当てもなく歩いた。別に見たいもの、買いたいものはないが、いつも行く洋服屋さんをのぞいたりした。一昨年まで大きなタワー式の駐車場があった場所に、新しいビルが建ち、インテリアや生活雑貨の店ができたので入ってみた。駐車場だった頃はよく利用して、闘病中だった父親に食べてもらおうと英国産の高価な蜂蜜を買いに来るときもここに車を停めた。
 街の変化に時の流れを実感し、あの頃はレオもいたんだなと思い、寂しさに包まれた。泣きたいような強い感情ではなく、諦めが交じった静かな感情だ。外出しても家にレオが待っていることのない日々があれからずっと続いている。あんなにいつもレオのことを考え、レオを中心に生活が回っていたのに。


洋室の窓から見た空
白い夏雲が空に浮かんでいる
雲は東から南に流れている
この窓から見た空の写真は、母が亡くなった2008年から
ときどき撮っている
母がまだ家にいる時、洋室のドアを開けたら
雨戸を開けて疲れた母がソファに座って休んでいて
わたしに笑いかけた
この時の母の笑顔が印象に残り、洋室のドアを開けると
ときどき母がまだそこにいるような気になる
今は空に浮かぶ雲を隠すほど成長したスモモの木は
6年前にはわたしの背の高さにもなっていなかった