友だちの訃報

 今年の夏は暑さで体調を崩したためか、暑中見舞いは書かず、残暑見舞いは書いたが枚数が少なかった。
 その数少ない残暑見舞いに、何人かの友だちは返事をくれたが、返事のない気になる友だちがいた。彼女は今年の寒中お見舞いに対して、お礼のメールをすぐ送ってくれていた。少したったら電話をしようと思っていた。
 昨夜のことである。夕食の準備を終えたばかりの時に携帯が鳴った。ポケットに入れていた電話をとると、聞いたことのない声。その方は名乗られたがその声を聞きながら、わたしは押しつぶされたような悲鳴を発した。この方が電話をくださることが何を意味しているか、すぐわかったから。
 友だちの訃報である。昨夏、千葉県の内房の町にある病院に入院している友だちを泊りがけで見舞った。その友だちが8月の半ばに他界したのである。病院に入院中の友だちに残暑見舞いを出したのが8月15日、亡くなったのはその前日。葉書が病院に届いたのは18日で、その日は東京でお別れ会を開いた日だった。葉書は転送され、ご遺族の方が友だちに代わって残暑見舞いのお礼と、亡くなったことを伝えるために電話をくださった。
 そうだったのか。昨年、会いに行った時は退院の話も話していた。だが病院側の受け入れが可能な限り、入院していたいというようなことも言っていた。わたしはそれを聞いて勝手に病気は治りかけているが、十分に回復し体力が戻ってくるまで病院にいたいという意味に解釈していた。
 ただ、今年の初め頃には退院かなと思っていてもまだ病院にいたことが引っかかっていたことは確か。それでも長い療養が必要なのだろうと思っていた。
 昨夜の電話ではじめて、友だちが自分の本当の状態を話さなかったことを知ったのである。
 いつ退院するのかとばかり思っていた自分の不甲斐なさと、病院を退院した友だちと会えることはないという口惜しさ、悲しさに電話口で号泣した。
 昨夏、お見舞いに行った時は友だちの病室に付属した一室に一泊して、夜眠る時間と昼寝の時間以外はほとんど話していた。生涯で一人の人とこんなに話したのは初めて、という、そんな時間だった。友だちの話をたくさん聞いたし、他の友だちとの間では聞き役が多いわたしもたくさん話した。心の内も話した。今思い返しても不思議な時間だったが、あの時友だちは自身にとっていちばん大事なことは秘していたのだ。
 だが思い返せば、彼女はたくさんメッセージをわたしに発していた。友だちの一家は、今まで住んでいた家を売り払い、父親は都内の一等地にある老人ホームに入居されていた。母親もいっしょに入居されたが、数か月あまりで他界された。家で飼っていた愛犬は父親と老人ホームで暮しているが、友だちはその犬の行く末を心配していた。父が高齢で最期まで面倒を見ることができないかもしれなかったからだ。自分の信頼できる友だちに十分なお金を託して、愛犬の里親になってくれる人に月々必要な金額を送ってもらうようにすると言っていた。
 また、自分があまり長生きできないかもしれないので、親しい友だちに感謝の印にまとまったものを残したいとも語っていた。
 ヨガに傾倒し、ある師匠を崇敬し、何度もインドの地を訪れている友だちは転生を信じている。周りの人たちに感謝の気持ちを抱きながら、最後を迎えることが大切と語っていた。人間としてこの世に生を受け、多くの出会いに恵まれ、今日まであったことに対して、すべての人に感謝すること。
 友だちの言葉は胸に響き、いつまでも残っている、ただあのときは、彼女の心の内にあるものを察することはできなかった。
 電話の向こうの方に取り乱したことを謝った。その方は友だちが最後の力を振り絞るようにして、来日し奈良に滞在する崇敬するインドの師を千倉市の病院よりタクシーで会いに行ったことを話してくれた。看護師さんが付き添い、酸素吸入器も載せるという状態だった。
 友だちは幸せな人生だったという言葉を残したそうだ。
 今年になって4月初めに送ったメールが、あなたとの最後のやりとりだった。あまりいい友だちになれなくて、ごめんさないね。もっとあなたと話したかった。あなたの心のうちを察することが出来なかったこと、本当に申し訳ないです。
 あなたは周囲にいる人たちを幸せにする力を持った人だった。安らかにお眠りください。わたしたちをどこかで見守っていてください。




家にいると、あれこれ考えすぎて、気持ちがエスカレートしていくので
でかけることにした。
天気予報が当らず、午前中から晴れ間が出たので、前から行きたいと思っていた
スケッチへ。
rosa_rojaさんのブログで拝見して、絵を描いてみたいと思った飯倉交差点近くの
聖オルバン教会である。
道路をはさんで正面から鉛筆で描いてみた。
写真を見て彩色しようと思ったが、写真だと細かい部分がぜんぶ暗くなって無理ということが
家に帰ってわかった。
あと何回か通って、スケッチも描きなおしたりして、仕上げるつもり。
隣にある聖アンデレ教会もスケッチしたみたい。

聖オルバン教会
緑色の屋根の下が暗くなって見えない



聖アンデレ教会
葬儀を執り行っており、幾度も鐘が鳴り響いた