高枝鋏がこわれた

 しとしと雨の日が続き、晴れたら行こうと思っていたスケッチには行けないでいる。そのほうがよかったとも思える。身体の調子がいまいちなので、無理をしないで家で休んでいる方がいいからだ。
 先週の終わりに、梅の木の剪定の仕上げを高枝鋏でやっていた。上に向かって伸びている太い徒長枝を切った後だった。取っ手がはずれてしまい、取っ手と先端の鋏をつないでいるワイヤーがむきだしになった。ワイヤーをパイプの中に入れて、取っ手を元に戻そうとするが戻らず、何度か試みていいるうちにワイヤーが切れてしまった。もう使い物にならない。
 この高枝鋏を手に入れたのが2012年の6月。梅の実の収穫と、収穫後の枝の剪定のために買った。その他、柿の木や桃、スモモ、金木犀など高枝鋏が必要な木がいっぱいあり、椿の木の剪定にも活躍した。年ごとに庭の木々は成長し、気がついたらさらに高木になり、脚立に上って切るだけでは間に合わず、高枝鋏をかなりの頻度で使った。太めの枝はスパッと切れず、鋏の首を振ることで何とか切ることもよくあった。
 その結果、2年と少しで使えなくなってしまったようだ。
 昨年亡くなった柴犬レオの絵を写真を見て描こうと思い、2011年のデジカメ写真を見ていると、庭木が今よりだいぶ低く枝ぶりもすっきりとしているので驚いた。昨年あたりから梅や桃、柿、スモモの木が一段と大きくなり、椿の木も大きくなったような気がする。レオの晩年から亡くなった後にかけての頃である。
 木は大きくなるが、こちらは年をとり体力が衰えてくる。わたしはいま60歳代だが、父は80歳代の後半で今のわたしと同じような気持ちを味わったかもしれないと思う。父は80代の半ばくらいまでは、脚立に上ったり、高枝鋏を使って、梅や柿の木などは剪定した。梅などはいつも短すぎるくらいにすっきりと切っていたように思う。87歳になるとさすがに無理になり、庭が荒れてきたのをおぼえている。庭の草むしりの回数も少なくなり、あちこちに雑草が蔓延っていた。体力の衰えを自覚し、もうできないなと思う父の気持ち。あの時のわたしはその気持ちをわかっていなかったが、今はよくわかるような気がする。父ほど切実でないかもしれないが、自分がやらなければという気持ちがよくわかる。
 高枝鋏は同じものを2年前に買った同じ店に取り置いてもらっているので、取りに行かなければいけないがなかなか行けないでいる。


花壇に秋の彩りを、と思い、葉鶏頭を数日前に植えた


8月初旬ころ種をまいた日日草
急に涼しくなったので、花を咲かせる前に秋が来そうな気配