「2つ目の窓」

 朝から陽射しが照り付ける暑い一日になった。1週間ほど前に、夕刊で河荑直美監督の映画『二つ目の窓』が上映中であることを知り、今日観に行った。
 新宿三丁目テアトル新宿で最初の回を観たが、映画館に着くとわたしが一番乗りの客だった。上映がはじまっても、席はかなり空いている。
 映画は奄美大島の自然が美しい映像で切り取られ、男女の高校生を中心にその家族が描かれている。島に生まれ育った杏子は、東京からこの島に移住した高校生の界人(かいと)に思いを寄せている。すごく素直に愛情を表現するが、界人のほうはどこか煮え切らず温度差がある。彼は離婚した母の奔放な男関係に不信を抱いていて、好きとか愛とかいう感情に素直になれない。二人が同じ自転車に乗り、海辺の道を走る場面が何回も繰り返され、杏子の気持ちは高まっていく。
 杏子の母は島民から神と崇められる存在だが、余命宣言を受けている。最後の時を家で迎えるために退院して、樹齢三百〜四百年といわれるガジュマルの木とその向こうの海が眺められる部屋に置いたベッドに横たわる。母はこの部屋で、夫や杏子や界人、島民の人たちに見守られ、母自らが聞きたいと願った島の民謡を聞きながら息をひきとる。夫も島民も手振りをして踊りながら死者を見送るのである。
 こういう死に方に比べると、わが父母の死は寂しいものだったな。どうなんだろう、にぎやかに見送られるほうが幸せなのだろうか。杏子は他の人たちと違って、母を失う悲しみ、辛さに打ちひしがれているが、こちらのほうがよくわかる。
 この映画でいちばんインパクトがあったのは、ヤギの血を抜いて殺す場面だ。涙が出てきてとまらなかった。まだ若いヤギを捕獲し、手足を縛り逆さ釣りにして、脚〈だったと思う〉の太い動脈を剃刀で切って血を抜き、絶命させる。言葉は話さないが、泣き声をあげるヤギ。血が下に置いた器にどくどくと滴り流れ息をひきとる。目を見開いていた。何のためにこの場面を撮ったのだろう。
この場面が映画の他の場面に比べて印象が強すぎるように感じた。多分、柴犬レオを亡くしてから言葉を話せない動物に対して、とりわけ強く感受する、わたしの感じ方が特別なのだろう。
 杏子は界人とのより深い関係を求めるが、これがきっかけとなり界人は母へのわだかまっていた思いを吐き出し、杏子にも感情のままにあたりちらす。奄美大島の海は近づく嵐で荒れ狂う・・・・・・

 どうもうまく書けないので、とりとめのないままここで終わりにする。


駐車場の後ろの花壇に植えた百日草
一番花が咲いている
百日草は大きな一番花が咲いた後、脇芽を伸ばして少し小さめの花を次々に咲かせる
夕方に撮ったので画像が暗い