今日は柴犬レオの12回目の月命日

 昨年6月15日のお昼頃、他界した愛犬レオ。今日は12回目の月命日である。最近、早朝のまだ日が昇っていない時刻に目を覚まし、そのまま起きることが多く、レオとよく行った近くの川まで歩いてレオを偲んでいた。
 今日は6時過ぎに起きたので川まで歩くことはしなかった。レオの仏壇に置いてあるお線香に火をつけて、昨日買ったシュークリームを一口大にして、レオの写真に向かって「好きなシュークリームだよ。食べてみない?」と語りかけた。もちろん、いくら語りかけても食べるわけもない。晩年のレオ、勢いよくわたしの手から好物(ピザとかササミジャーキー、ペンネカルボナーラなど)に食いついた、そのときの顔を思い出し、涙がぽろぽろこぼれ落ちた。仏壇に置いてある透明な袋に入ったレオの写真を手に取ると、その写真に小さな水滴がついていた。写真のレオは眠っているが、その目から涙が落ちたように見えた。
 レオを泣かせてはいけないなと思い、心を静め涙を拭いた。泣いてばかりじゃレオも心配だよね。レオ、今日も一日よろしくね。
 机の上の透明な袋には、デジカメを買う前に一眼レフカメラで撮ったレオの写真のポジフィルムが十数枚入っている。昨年の今頃、レオの写真を整理しているとき、プリントをしたいとと思うポジを袋に入れてそのままになっていた。今日は一年ぶりにそのポジを街のショップに持って行き、プリントを頼んだ。他のポジも足して、20枚近くのプリントを注文した。どの写真も、2005年秋より前に撮ったもので、レオが8歳より若い頃の写真だ。
 若い頃のレオはやせていて、顔が細面で、こんがりとしたきれいな赤茶色の被毛をしている。しなやかでバネのある筋肉がもたらす、躍動感のあるきびきびとした動きが写真からも伝わってくる。歳月がレオをどこまで変えてしまったのか。
 車でプリントショップに行った帰り、車から多摩川の河原を眺めた。夏の太陽に照らされた河原は、まぶしいほどの緑色に輝いている。レオとよく散歩にいった多摩川の河原で、いつまでもレオといっしょにいる時間が続くように思えたことがあった。レオとわたしの前にはまだまだたくさんの時間があると思えたことも。だが時間は限りがあり、いつのまにか残り少なくなり、いつの間にか終わりを迎えた。
 レオの写真は来週の金曜日に出来上がる予定。いちばん愛しく思うのは身体が思うように動かなくなった晩年のレオだが、若い頃のレオに会うのも楽しみだ。


花壇では白いグラジオラスが2本咲いている


黄色の花のメランポジュームと、青紫色のアンゲロニア
これも花壇の一部