さわやかな五月晴れの日、10か月ぶりくらいに友だちと会い、駒込の六義園へ足を伸ばした。この友だちは昨年6月、愛犬が亡くなってから、わが家まで訪ねてくれ、わたしを力づけでくれたが〈8月のこと〉、それ以来会っていない。
六義園の日本庭園は、ツツジが終わり,サツキや紫陽花にはまだ早く、あまり花は咲いていなかったが、新緑のすばらしさに心洗われた。薫風が吹きわたるという表現がぴったり。池の端のベンチに座ると、池を渡ってくる風が何とも言えずいい香りがした。若葉の香りと腐葉土の香りが混ざったような・・・・・・・。新旧の葉がデュエットしているみたいな。
高木の欅の梢は風に激しく揺れ、それより少し低い木は風にそよがない。池辺の松は端然として、風など眼中にない風情。いろいろな木々が〈名前のわからない木がたくさんあり、もっと詳しければよかったと思った)、調和よく配置され、ところによっては競争しあい、広い庭を作っている。門から入ったところは、きれいに人の手が入っているが庭園の奥まったところはほとんど自然のままに放置されているのもいい。
庭園に入る前に、JR山手線・駒込駅から庭園まで行く道の途中にあるビストロでランチを楽しんだが、何かのきっかけで30年くらい前の話になった。共通の知人についての話をしながら、その人の名前を憶えていることに我ながら驚いた。30年以上も思い出したことのない人の名前が出てきたことに。これがきっかけで昔話に花が咲き、わたしがとても親しくしていたが(何かがあったわけではなく、なんとなく時間の経過とともに)疎遠になった女友だちについて、友だちが話した。彼女が本を書き、その本がテレビドラマ化されるという話だ。『ダンナ様はFBI』というタイトルである。この旦那様と結婚する経緯については少し知っているが、その後についてはほとんど知らない。
20代から30代前半くらいに共に試行錯誤した友だちがこうして活躍している。振り返って、わたしは・・・・・・と思うところもある。
だが、ランチを食べたり、庭園を歩いたり、5時間くらいを過ごした友だちと別れ、ひとり帰りの電車に乗ると、亡くなったレオが心の中に満ちてくることを感じた。池の水の水位が上がるように、すーっと広がるような感じ。
自分の気持ちに嘘をつかないで生きるにはどうしたらいいのだろうか。なにが本当の自分なのか。『「東京物語」と小津安二郎』という本を読んでから、自己欺瞞ということばがどこかに引掛かっている。
池べりの松の木の葉を職人さんが手で間引いていた
強い陽射しのもとで根気のいる作業だなと感心