古墳の公園で白い犬に会えた

 朝犬友だちからメール&電話があり、何回もやりとりした。多摩川を望む公園にこの3週間ほど出没する白い犬について。
 友だちは公園にいて白い犬を他の何人かの人と追いかけたのだが犬は道路を渡り多摩川の河原に出た。さらに追いかけたのだろうか。また道路を渡って公園に戻ったそうだ。
 わたしに河原まで来てくれというようなメールがあり、いちおう行ってみたが公園に戻ったというメールがあり引き返した。おおぜいで追いかけることは犬を怯えさせかえって可哀そうだがそうするしかなかったのだろう。
 家に帰る途中、いつも行く特別支援学校の売店が開いていたのでサヤエンドウを2袋買い、校内のカフェに入った。いつもいっしょに来た友だちは体調を崩し昨日検査に行くなどしたので家で休むという。
 カフェでは先生の指導のもと生徒さんが接客や飲み物を作る。新学期になり二回目だがお客さんもそこそこ入って新しく喫茶部に加わった生徒さんがいっしょうけんめい接客のあいさつややりとりを学んでいる。
 顔見知りの人が何人か来たのでわたしもいろいろ話せて楽しかった。
 帰り、友だちに買った野菜を家に届け友だちが受けた検査のことや愛犬が受けた検査のことを話した。友だちは何の病気かはっきりとは言わないが検査の内容から推察でき、それはかなり重大な病気である。家事を娘さんが手伝ってくれるようになったが時間があくとあれこれ考えてしまうと言ったので、(そんなに考え込まないでも)大丈夫と励ました。
 愛犬のほうも検査結果がいまいちで現在服用している薬の量を減らすことにしたそうだ。血液検査で遊離サイロキシンという甲状腺ホルモンの働きをする物質の量がかなり増えている。これが増えると甲状腺機能亢進になるようだ。薬を減らし2週間様子を見てまた血液検査をするそうで、これも友だちには負担になる。よかったら犬の検査はわたしが代わりに行ってもいいと伝えた。
 昼食後、バスに乗って古墳のある公園に行った。白い犬に会うためだ。できれば保護したいが無理だろうと思った。どんな犬でどのような様子か見れるだけでもいいと思った。
 公園は樹々がほどよく繁っているため木陰があり川からの風が通って気持ちいい。古墳内は人が入れないが木のないところは笹が植えてあり短く刈られてきれいに管理されている。多分犬がいるとしたら古墳の山にいるだろうと思った。わたしが犬だったらそうすると思う。うるさい人が入ってこれず、木陰があり風がここちよいから。
 白い犬は思った通り古墳の山にいた。山といってもなだらかで少し高くなっているていど。白い犬の前のベンチに背を向けた座り、バッグからおやつを取り出し、袋を開けるとあけると犬が立ち上がった。こちらを見て避け
るように古墳山から出て公園の広場に向かった。そこに犬連れの夫婦がいた。奥さんが腰を低くして犬が来るのを待つ姿勢になった。

犬はお座りの姿勢に。そこで飼い犬がワンと一声鳴き、白い犬は立ち上がり離れた。
 白い犬は広場でごろんとなり背中をごしごししている。その後、公園の下り坂のほうに行った。見下ろすとなだらかな段々のある長い坂を犬が慣れた道を行くように下っていく。
 犬に去られてとても寂しい気持ちになった。人よりも犬の「NO]のほうが心に堪える。犬は純粋な生き物だから。それとちらっと見た古墳山に座る白い犬の横顔が老犬ももこに似ていた。疲れているような、やつれているような。ああまたかというあきらめのような。人に追いかけられ逃げるのに疲れているのかもしれない。ごめんね。
 この犬を保護しようといろいろ試みている友だちから電話があり、いろいろなうわさが流れているとのこと。噂というのは事実かどうかわからないから。白い犬の飼い主は近くに住む老夫婦で犬が逃げたのは知っているが年をとっているので探しに行けないといううわさ。もうひとつはこの犬に毎日餌を家の敷地内でやっている人がいるといううわさ。老夫婦の家が公園の近くなら白い犬は家に帰らないわけはなくときどき帰っている可能性が高い。飼い主は高齢のため犬が帰ってきてもどうにもできないのかも。もしくはどうにかしようと思わないのかも。

 柿若葉みどりいろの蝶のごとく卯月の夕べの空にありぬ
 上向いてペットボトルの水飲むは涙落ちるをかくさむとして

 影ふくむ若葉の柳こんもりと手前の川面に金銀ひかる