乙女椿の剪定の続き

 三日ぶりの晴れ間が出て、風がさわやかでここちよい。
 午前中は昨日少し剪定した乙女椿を、2階のベランダに上がって、上から切った。長めの持ちてがついた剪定鋏と、高枝鋏を使った。木の上の方に枝が密集すると、雪が降った時に重みで枝がしなってしまう。そうならないように枝先はもちろん、枝元からも透かすように枝を切った。
 柴犬レオのアルバム作りのため、昔の写真を見なおしているとき、この乙女椿が写っている写真が見つかった。冬に撮った写真で、木の高さは今より少し高いくらいだが、横幅がかなり細いのに驚いた。写真の乙女椿は細長い紡錘形をしているが現在は縦が少し長めの正方形である。屏風のように目隠しの役目をしている。昔からこういう形にあえて剪定しているのだと思っていた。ところが違ったのである。
 2006年1月か2月の写真なので8年あまりの歳月が流れているが、木とはこんなにも大きくなってしまうものだと思った。この写真を見てこの乙女椿の横の部分を少しスリムにしたが、もちろん8年前とは似ても似つかない(?)。ただ、現在の樹形は外からの視線をさえぎるのにちょうどよい。枝を透かしたので、透けて見える感じだがこのていどがいちばんいい。鬱蒼とした木はなぜか重圧感を感じる。
 2階のベランダからの剪定を終え、下に降り、外に出て切ったばかりの乙女椿を見上げていると風が吹いた。花壇に植えた矢車草が風にそよぎ、斜めになり、風が目に見えるように思った。わたしの身体の中を風が通り抜け一瞬、透き通るように感じた。誰かがわたしに声をかけたように思えた。母か父かレオか。声をかけてくれたので、疲れがふわっと飛んで行った。
 
 そろそろ種まきをしたいと思っている。今年は大輪朝顔と切り花用の千日紅、切り花用の百日草の種を買い求めた。今日は乙女椿の剪定で疲れたので別の日に。
 午前中、乙女椿の剪定をする前に、玄関のチャイムが鳴るので出ると近所の知り合いの奥さんが。昨年、着物の着付けを習った方で、そろそろまた着付けをしませんかと誘いに来て下さった。庭に出て、花壇の花や植木鉢の花を見ながら、花の話しをした。梅の木に青梅がたわわに実っているのを見て、すごいわね、ぎっしりとついていると奥さん。こんな話の中で着物の着付けの話が出たのだが、わたしは昨年のレオのことを思い出してしまうので・・・・と答えた。昨年は衰えているレオとこの家にいて、5月〜6月はわたしにしては忙しくて(庭仕事も含めて)、レオのことをきちんと見てあげられなかったという思いが残り、そこから抜け出られない。同じ季節を迎えてその思いは強くなる。もうどうしようもないことだが、だからこそ悲しいと思い、レオに悪いと思う。
 いろんな思いが交錯するが、自分の思いにがんじがらめにならないように時間の過ぎ行く中で自然にほどけていくのを待った方がいいのかもしれない。


名前のわからないフロリバンダ・ローズが花盛り
この薔薇は父が10年ほど前に近所のお花屋さんから鉢植えを買ってきたもので、
地植えにしたのは5年前くらい
買ったばかりの時をのぞいて、今年がいちばん花つきがいいようだ



つぼみをつけた鉢植えの芍薬
これも父が10年くらい前に手に入れ、この鉢に植えた後、
一度も植え替えていない
数年前から植え替えようと思いつつ、踏み切れない
植え替えがうまくいかなかったら・・・という気持ちがあって