今日は柴犬レオの8回目の月命日

 柴犬レオが昨年の6月15日に他界してから、今日で8ヶ月たった。レオがいるときもいなくなってからも同じように時間が過ぎていく。時間が過ぎれば、レオと暮らした日々が遠くなる。なんて寂しいのだろう。
 月命日なので、レオの仏壇に飾っている花を新しくしたいと思ったが、あいにく昨日早朝からの大雪で車を出せない。先週の大雪より水分が多い雪質で、庭の木がかなりダメージを受けている。いちばん被害が大きいのが古木の梅で、わたしの二の腕より太い幹が折れ、オオムラサキツツジやサツキの植込みの上に落ちた。たくさんの枝が分岐していて、つぼみをいっぱいつけた枝を見ると、春を迎える前にこういうことになったのが残念である。通路に枝を伸ばしていたので剪定しようと思っていたが、早く剪定しておけばよかったと思った。枝先を切っておくだけで、荷重が少なくなり、折れなかったかもしれない。
 この太い幹の始末や雪かきでまた腰が痛くなり、ぐったりと疲れてしまい、レオの月命日なのに何もできそうもない。大雪に降り込められた昨日、雪をかぶった庭の椿の葉の絵手紙を描いた。「雪が降る日はレオがいないといっそう寂しい」と書いた。この絵手紙でいいかな、レオ。
 亡くなったレオのためにできることがだんだん少なくなっていく。もう食事もしないし水も飲まないし、散歩に行くこともない。泣いてわたしに何かを訴えることもない。レオの世話はもうできないから、せめてお花を飾ったり、絵手紙を描いたり。レオの写真を見て偲んだり。レオがいるような気持になって、話かけたり。


昨日描いたレオへの絵手紙
昨年の成人式の日に大雪が降り、レオといっしょに庭を眺めたことを
思い出しながら描いた
この椿の木も雪の重みで太い幹がおじぎをするほどしなったが
折れることはなかった。


ツツジの植込みの上に落ちた
梅の古木の幹
細かい枝がたくさん出て、つぼみがぎっしりとついている
鋸で枝を切り落とし、幹を引っ張り出した
ツツジは思ったほど傷ついていなかった
雪がクッションになったようだ