お年玉の準備

 今年の6月に亡くなった柴犬レオのこともあり、お正月は何もしないつもりだが、二世代住宅の上に住む姪のこどもや、里帰りをする甥のこどもにやるお年玉は準備した。
 こどもたちにお年玉をやり、レオには何もやらないのを寂しく感じ、レオにもお年玉を用意した。千代紙でポチ袋を手作りして、こどもたちと同じだけ入れた。レオのお年玉を用意しながら、なんで生前、お年玉をあげなかったのだろうと思った。お正月を迎えるにあたって新しい首輪を買ったことはあったが、特にお年玉というわけではなかった。いまになってこんなことを考えてもしかたないのだが、もっとレオと楽しめることはあったなと思った。
 午後は友だちより電話があったがちょうど遅いお昼ご飯を食べているときだったので、こちらからかけ直した。1時間半ほどの長電話。30年近くの古い友だちなので、相手の話をじっくり聞き、こちらも言いたいことをあれこれ話せた。母が亡くなってから来年1月12日で6年、家族がひとりひとりと減っていく6年間は長く感じたと話した。友だちは自分自身の健康と仕事と高齢のお母様のことなど問題を抱えていて、あまり元気がないが来年に向けてこうしたいという話しも少し聞けた。わたしは来年はこうしたいという話しをしなかった。目標はいくつかあるが、それは心の中のことで、口には出さなかった。もう少し考えてみよう。


真ん中がレオへのお年玉
(いなくなった後もそばにいてくれるような気がするので)
「いつもそばにいてくれてありがとう」の気持ちをこめた