小雪降る庭

 厳しい寒さの一日だった。朝方〈9時頃か〉、雪が降った。細かいあられのような雪ですぐ止んだ。晴れた日はお昼をはさんで4時間ほどは暖房が必要ないが、今日は一日中、居間のエアコンをかけた。
 朝は6時半ごろ目覚めたがその前は夢の中にいた。小学校の時の友人に会えた。同じ名前ということで仲良くなったふしもあり住まいも割と近いので、学校の帰り家に遊びによく行った。夢の中で友だちをふくめた5人くらいが家に遊びに来た。全員が違う飲み物を飲みたいようでわたしは台所と友だちがいる部屋を行き来して、飲み物を作り持ってくる。ブル―ベリー風味の紅茶を持ってくるとき、幼馴染の友だちに何が飲みたい?と聞くと友だちはぽつんと「ほうじ茶」と答える。夢の中でわたしはほうじ茶?家にあったかしら・・・ああ、あったと考える。その時、友だちに交じって家に来ていた従妹が大きな声で何か話し、ここで夢から醒めた。
 小学校時代の友だちは小学校以来一度も会っていない。お互い違う中学へと進学し、それ以来ずっと疎遠だが友だちは20年くらい前に亡くなった。結婚して幼いこどもがいたことを伝え聞いた。夢の中の友だちは小学生の時そのままだった。お下げ髪の卵型の寂しそうな顔をしていた。
 夢の中に思いがけない人が現れることがある。日々の暮らしでは意識に上って来ないが、脳の中には信じられないほど膨大な記憶が眠っているのであろう。思い出さないということは、記憶していないということではないのだ。深い湖の底から突然浮かび上がるように、忘れていた記憶の断片が頭を過ぎることがある。ふつう何かきっかけがあることが多い。雪ということばから、雪が降った日の記憶がよみがえったり。

 寒くて外に出る気持ちにならず、家で「佐藤佐太郎自選歌抄」を読んだ。
山茶花の咲くべくなりてなつかしむ今年の花は去年を知らず」〈佐藤佐太郎 昭和53年9

 当たり前のことといえばそうだが、今年咲く花は去年を知らないということに気付いた。柴犬レオがいなくなってから咲いた花は、レオのいた頃を知らない花なのである。これから咲く梅、椿、桜、スモモ・・・・・どの花もレオがいた春にきれいに咲いたが、今年の花は同じ木に咲いても違う花、というか新しい今年の花なのである。記憶をとどめない花、生きている間は毎年のその年の花を咲かせる花。記憶を脳の中に積み重ねていく人間とはまったく別の存在だなと思った。木は記憶を積み重ねるのかもしれない。


白い雪が地面を透明水彩のスプラッタリングのように彩る