秋の夕暮れは寂しいと思う

 この季節、日が暮れるのが早い。5時前には暗くなり、南の空に一番星が輝いている。なにかに誘われるように外を少しだけ歩いたが、このあたりも新旧の交代というか、去る人が多く、空き家、空き地が多くなり、寂しさがずっしりと胸にこたえた。
 去る人があれば来る人もいるのだろうが、年のせいか、去る人に思いが重なり、気持ちの切り替えができない。
 一番星が輝く晩秋のこの時間、柴犬レオが元気だった頃は、わたしたちは多摩川の河原をまだ散歩していた。川向こうのシルエットになった富士山を眺めながら、風がない今日のような夕暮れは暗くなっても多摩川の河原を歩いていた。
 家では父母が待っていた頃もあった。母はお腹をすかせてわたしの帰りを今か今かと待っていたこともあっただろう。特に夏は7時半ごろまで多摩川の河原にいることもあったので、母は帰りが遅いわたしに愚痴を言ったこともあった。いまになればなつかしい思い出だ。
 地平線近くに名残の光が漂う晩秋から冬にかけてのこの時間はとりわけ寂しい。レオがいたときもこの時期の夕暮れは寂しく感じたが、いなくなった今となっては身が細って消えてしまいそうな気持ちになった。