久しぶりに柿の実を収穫

 晴天が続く。晴れている日は庭に出て、柿の木を見上げ、まだ実が枝になっているのを見てなぜか安心する。柿が熟してしまうと、朝起きて見上げたら、ひとつも実が残っていないということがあるからだ。野鳥たちは毎日訪れ、熟したものからかじっていく。また固い実は残している。
 庭で鳥たちの鳴声がさわがしいので、食べている最中だろう。玄関の戸を開けて外に出て、おもむろに高枝剪定鋏を手に取り、柿の木の下に行くと鳥たちは飛び去った。
狙い定めた太い枝の下に脚立を固定し、高枝鋏を持って3段上り、先端に取り付けたノコギリでごしごしやった。その前に邪魔になる枝を切り落とした。太い枝なのでなかなか切り落とせない。枝の反対側からもノコギリを使い、やっと切った、どさっと落ちてくる。
 思わず、レオ!お母さん、がんばったよと口走ってしまった。やったーという感じ。大きな実がたくさんついている。食べられた実もある。剪定鋏で柿の実を枝から切り離した。手に力が入らなくて、もぎ取ることが出来ない。多分、太い枝を切るのに力を使い尽くしたののだろう。身体。太い枝を落したので、庭が少し明るくなった感じがする。
 1本だけで今日は終わりと思ったが、細い枝についた柿の実をいくつか枝ごと鋏で切った。太い枝はもう切れない。
 部屋に入り、ひと休みしてから、「東京の近代建築スケッチ公募展」の開催を知らせるハガキを、友人宛てに書いた。事務局から10枚送られてきたので、9枚だけ出した。もう少し出したいので追加のハガキを送ってもらうことにした。ハガキを受け取った友人がギャラリーに来れなくても、こういうことをやっていますという近況を知らせるだけでもいいかなと思った。もちろん、ギャラリーで会えればうれしいのだが。


 ハガキを出しに郵便局に行った帰り、家の駐車場で姪のこどもが友だちといっしょにJボードで遊んでいた。上手になったねと声をかけた。同時に柴犬レオのことを思い出した。レオがまだいる頃、駐車車でJボードの練習をはじめたのだが、最初は上に乗るのも大変だった。しばらくすると上達して、レオと駐車場にいると、車とブロック塀の間をJボードに乗ったままスル―して、駐車場をぐるぐる回るほどになった。その頃、レオはその子に、ここは僕の縄張りだぞと主張するような態度をとった。レオにとって駐車場は毎日何回か来て、歩いたり、トイレをするところで、小さな年下のこどもに自分の存在を示したかったのだろう。衰えても決して弱気にならなかったレオの誇り高さがなつかしく、悲しくなった。家に戻り、泣いた。
 レオが少しずつ遠くなって行くような気がするが、レオは死んだ時からどこにも行かないで、同じところにいるのだろう。遠くなるような気がしたら、それはわたしがレオから離れていくからだろう。レオから離れて行きたくないが、生きるということは同じ場所に居ることができないということかもしれない。
 たとえ離れて行ってもレオのそばにいる時間、レオのことを考え偲ぶ時間をできるだけ作りたい。

切った太い枝
実を取った後に撮影

収穫した柿の実

まだ柿の実がだいぶある


収穫した柿の実を描いた
鉛筆でスケッチして、水彩色絵具で彩色