柴犬レオの5回目の月命日

 朝から雲が空をおおい、お昼過ぎから雨が降り出した。今日は6月15日に他界した柴犬レオの月命日。
 駐車場の横、ブロックを2段重ねたところに空きスペースがあり、種から発芽し、ビニールポットに植えかえた草花の苗を30〜40個ほど並べている。小さな苗はなかなか成長しないが、急に寒くなったので夜の冷気から守るため寒冷紗(不敷布)を被せている。今朝、その覆いを取ったり、駐車場の掃除をしているときに、レオの友だち犬のチワワ、M君が飼い主とともに通りかかった。わたしを見てうれしそうにしたので、腰をかがめて、ふわふわした毛をなでてあげた。M君はレオが高齢になり、散歩があまりできなくなってから知り合ったまだ若い犬で、6月14日のレオの最後の夜に家の前の道路で会った犬でもある。
 レオの月命日の朝に、そういうM君と飼い主さんに会ったのは、レオが会えるようにしてくれたように思った。お母さん、僕のこと忘れないでね。僕はお母さんのそばにいつもいるからね。こんなメッセージを受け取った気持ちになった。
 家の中に戻りしばらくたってから、最後の夜のレオをありありと思い出し、号泣した。あれはレオの生涯最後の夜だった。次の日のお昼ごろ他界したのだ。もう一度あの夜をやり直すことができたら・・・・・わたしは何かできるだろうか。いや、消えていく命を止めることはできなかっただろう。
 レオのことを思い出し泣いたり目頭が熱くなることは一日何回かあるが、半面ではレオがいたときと変わらずに、レオと二人三脚で生きているような気持も芽生えてきた。
 雨の日は庭仕事をすることもなく、のんびりと家で過ごすことができる。涙雨のような冷たい雨がぽつぽつと降る庭を眺めながら、こんな日はレオがいてくれたらどんなにいいだろうかと思う。レオの寝姿を眺めながら、炬燵に入ってTVを見たり本を読んだり。レオとの生活は介護の大変さもあった。レオの寝顔を眺めて、幸せな気持ちになるときもあった。レオの様子がおかしく、あれこれ心配するときもあった。すべてがいまはなつかしい。
 今日はレオを偲ぶ日にしよう。


レオのお仏壇
庭の花をたくさんお供えした
黄色い花はナスタチュームで、レオがいた5月末に大きな鉢に植え付けたが
夏の間葉を茂らすだけで花が咲かず、10月になってから咲き始めた
左奥に「レオ」とあるのは、アルバムの表紙
飾ってある写真は、メインの顔写真以外は月に数回、新しいものと替えている