柿の収穫、夾竹桃の剪定枝の後始末など

 昨日と同じおだやかな秋晴れの日。旅の疲れは残っているが昨夜もぐっすり眠れ、精神的には落ち着いてきた。今日は10月最後の日となる。
 この季節は、冬〜春へと花壇の切り替えの時期で、種をまいて育った小苗を植え替えるなどの作業も多い。柿の実も収穫したいし、梅やスモモの木の野放図に伸びた枝も気になる。名前のわからない落葉樹が太い枝を垂直に伸ばしているので、なんとかしたい気持ちもある。金木犀の剪定も秋の間に終えておきたい。夾竹桃の剪定した枝がそのままになっている。等々、やりたい、やらなければいけない庭仕事がいろいろあるが、次から次へと作業をこなすほどの体力、気力はない。
 午前中は高枝鋏で柿の実を10個ほど、一本釣りの感覚で収穫した。柿の実を隠して収穫しにくくしている枝を切り落としながらの作業だ。左右に伸びた枝をどんどん切り落としていかないと、柿の木はどこまでも枝を広げようとする。見ていると樹木の生命力に圧倒されるほどだ。収穫した柿の実はさっそく近所の、よくランチを食べたりコーヒーを飲むお店に持って行った。ついでにコーヒーも飲んだ。
 夾竹桃の剪定枝が小高く積み重ねられ、目障りになってきたので、青々とした葉っぱのついた細めの枝を剪定鋏で切り落として束ねた。太い枝はノコギリで短く切ってから束ねるかゴミ袋に入れるのだが、ノコギリで切る作業がかなり大変。太い枝を切る作業は別の日にやることにして、葉っぱのついた枝を2束束ねた。また枝が残っているがこれも別の日にすることに。あまり長い時間の庭仕事はできそうにもなかったから。


 家にいて、父の郷里のことを考える。今回の旅では、はじめて父の故郷を訪れるわたしを気遣ってか、従妹たちが全部旅の費用をもってくれた。有難いことである。ひとりの従妹は叔父さんにはすごくお世話になったので、そのお返しもできないないがせめてこれぐらいは・・・・・と言ってくれた。父が生前行ったことがこうしてわたしに還ってくるのは不思議な感じがした。
 従妹たちの好意に甘え、従妹たちとのつながりを確認することができて、父のふるさとはわたしにとって心の拠り所のひとつになるかもしれない。弟はいるが、女の姉妹がいないので、姉や妹ができたみたいで、三人姉妹のように思えるときもあった。住む場所が離れているから、そんなに会うこともないだろうが、この縁を大切にしたい。
 旅先にも柴犬レオの写真を持って行き、レオの毛を入れた金属製のカプセルをネックレスのように身につけた(これは毎日そうしている)。旅館の部屋のテーブルにレオの写真を、枕元にレオの毛が入ったカプセルを置いて過ごした。やはり、レオはどこに行くにも一緒に行きたい。
 レオがいないことをいちばん感じるのは、外から帰って来た時だ。レオがいたときは、玄関の扉を開けると、どこにいるのかすぐ確認した。なにごともなく眠っているとほっとした。いまも外から帰ってくると、レオの姿を探してしまう。もういないということはわかっているのだが、レオがいたときの思いが残っているのか。今もまだ、夕方仏壇に向かって、レオがいないけれど一日が終わったよと父母に語りかける。


今朝収穫した柿
次郎柿という品種でとても甘くて味が濃い




お土産がいろいろ
買ったものより、(手土産の)お返しにいただいたものが多い
とちの実で作った、作りたてのとち餅もいただいたが
やわらかく香ばしくておいしかった