東京は真夏日

 お昼ご飯を近くの商店街の店で食べようと外に出たら、くらっとした。真っ青な空、強い日差し。8月が戻ってきたような、妙な感覚におそわれた。すでに過ぎ去ったはずの8月が今ここにあるという変な気持ち。
 夕刊を見ると、今日の東京は30℃cまで気温が上がり、都心で観測史上最も遅い真夏日になったようだ。これまでは98年前、1915年(大正4年)の10月9日に観測した31、3℃だった。亡き母は大正4年12月に生まれたので、98年前の暑い10月はおばあちゃんのお腹の中だったのかと思った。
 この遅い猛暑日、また100年近く更新されないといいが、温暖化が進んでいる21世紀だから、そうはいかないかもしれない。
 今日は暑くてしかも風が強く、やりたいと思ったことが出来なかった。夾竹桃の剪定の続きをしたかったのだが、熱中症になりそうなのでやめたし、花壇に咲く花をスケッチしたかったが風が強くて花が動くので出来なかった。
 座布団を干したり、洗濯をしたり・・・・ほとんど家の中で過ごし、夕方になって車で墓参用の花を買いに行った。明日は母の月命日だ。
 夜になってから、月見を兼ねて散歩をした。南寄りの空に上弦の月より一日早いかなと思われる月が出ていた。夜空に輝く月、地上で光を放つ家々やビルの灯り。ふと、突然大停電が起こったらどうなるだろうと思った。月だけの光でわたしは外にいて、どれほどの暗さを体験するのだろう。そう思ったら、電気があるのは有難い、安定して電気が使えるのは有難いことだと思った。
 レオがこの世を去ってもう少しで4カ月になる。ようやく自分が生きているんだと思えるようになった。わたしはふつうの状態で毎日を過ごしていると思っていたが、どうもふつうではなかったようだ。3年前に買った車は、レオがいる間はかすり傷さえつけなかったのに、いなくなってから数回壁などにぶつけて傷をつけた。どこかおかしかったとしか思えない。こわいのはふつうでないことを自覚できなかったことだ。
 いまはふつうになったと思っているが、さて、どうだろうか。まだまだだろうか。