雨模様の朝

 早朝起きて庭に出ると、地面がしっとりと湿っている。昨夜雨が降ったようだ。ひんやりとした空気が身を包む。秋になり、柴犬のレオはいなくなり、寂しさが募るが心のどこかでレオのためにはよかったのかもしれないという気持ちがかすかに芽生えた。
 老いて病を持ち、身体が思うように動かせず、狭い所に入りたくなくても入ってしまうなど、不自由さと辛さをいつも感じながらかろうじて生きながらえてきた。その人生が終えたことは安らぎではないだろうか。レオがいないことはわたしにとって寂いし、悲しいし、辛い。レオも身体がもう少し思うように動かせるなら、脳の病気があれほど急激に進まなければ、この家にまだまだいたかっただろう。だがそうはいかなくて、あの状態では命を終えることはレオにとってよかったようにも思える。こう考えることは身を切るように辛いことではあるが。
 レオの幻が家の中で、庭で、散歩する住宅街で、公園で眠っていたり、歩いていたり、ときには走り回っている。身体を失った魂が自由になり、いきいきとしてわたしのそばにいると思うこともある。
 雨模様の空を気にしながら折り畳み傘を持って、今朝は多摩川台公園まで歩いた。途中、宅地の一角がそこだけぽっかりと平地になっていて、え、いつのまにと驚いた。この前の日曜もこの前を通ったが、家を取り壊しているとは気づかなかった。家をこわし、庭木を取り除き、平地にするのに少なくても数週間はかかるはずなので、あのときも工事中だったのだが見過ごしていたのだろうか。消費税増税を見越して、その前に、と宅地を売りたい人は急いでいる。いろいろ所で家をこわされ、更地になっているがほとんど分譲され、新しい家が(今まで一軒しか建っていなかった)同じ敷地に数軒立つ所が多い。時代の変わり目を住宅街の変化から強く感じ取った。多分、わたしは生まれてから何度もこのような時代の変わり目、転換点ははあったのだろうが、この年齢になってはじめて変わることの寂しさを感じた。
 多摩川台公園の自由広場に上り、誰もいない草地を見渡しながらゆっくり歩いた。幻のレオに自由に走り回っていいよと話しかけると、広場の端から端まで大きく勢いよく走っている。数周したところで、疲れたな休んだほうがいいよと言うと、わたしから離れた所で立ち止まり、こちらを見ている。わたしは広場の端の多摩川を望めるところまで歩き、ちょっと多摩川が眺められるかどうか見てくるねと話しかけた。台地の斜面には木々が重なり、川はほとんど見えなかった。
まだ立ち止まっているレオに、ゆっくりこちらに戻っておいで、と話しかけるとレオは走ってわたしの足元まで来て、脚にからみついた。
 こんなふうに幻のレオと広場で遊んでいると、広場の入り口から柴犬を連れた背の高い女性が現われた。もしかしたら?とよく見ると知り合いの方で、レオよりだいぶ年下の柴犬だった。レオがまだ元気な頃はいがみあう仲で、特に若い向こうのほうからレオによく挑みかかってきた。
 なつかしくなり、こちらから近づき、飼い主さんにあいさつをし、膝を折ってしゃがみ、その柴犬君にもあいさつ。しゃがんだまま、話した、飼い主さんも同じ姿勢になってしばらくおしゃべり。ふわふわした柴犬君の首のあたりをなでると、長い毛がたくさん抜けてきた。おもしろいほど抜ける。そうだ、レオもこの時期は同じように抜けていたな。こうして指でつまんで毛を抜いたこともよくあった。そう思いながら柴犬君を見ると、レオとぴったり重なり、かえってレオの不在を思い知った。見れば見るほどレオに似ている感じもした。
 共通の知り合いの柴犬ちゃんがレオと同じくらいの時期に亡くなったことも知った。女の子の柴犬でレオより3歳くらい若く、レオより体格もよく元気な子だった。たぶん13、4歳くらいだったのだろう。お母さんが自転車に乗り、リードにつながれたその子がいっしょに走っているのをときどき見かけた。そういえば最近見かけていなかった・・・・・・
 レオに似ていると思った柴犬君も9歳になるそうだ。この子はやんちゃ盛りの1歳の頃から知っているので、もうそんなに!と思ったがレオも16才になっていたし、歳月が過ぎたということだろう。 


「庭で鳴くミンミンゼミに力なく夏の終わりを響かせてあり」
「公園を幻の犬が駆け回る雨模様の9月の朝に」
「愛犬の幻を見て話しかけまるでいるごとく振る舞いにけり」


2009年11月、多摩川台公園の自由広場に散歩に来た柴犬レオ