鹿沼市に住む従妹に電話してみた

 昨日、栃木県の鹿沼市でも竜巻が発生したということを新聞で知り、その街に住んでいる父方の従妹に様子伺いの電話をした。
 従妹が住んでいる地域からは離れたところで竜巻が発生したとのことで、被害がないことがわかりほっとした。父の親戚縁者でただひとりつながりがあるというか連絡をときどき取り合う仲なので、やはりずっと元気でいてほしい。
 柴犬レオが6月15日に亡くなったことを従妹に知らせると、寂しくなったわねと言った。そう、ひとりになってしまい寂しい。だが時間は自由に使えるようになったので、父の遺骨(ほんの少しだが家に持って来て手元供養している)を郷里に散骨しに行きたいと話すと、紅葉の頃がいいのでは、という話しになった。
 紅葉は10月末頃のようだ。その頃に父の故郷に行くために、心の準備やもろもろの準備をしようと思った。わたし以外の家族は全員、父の故郷に観光旅行で訪れているのだが、わたしは一度も訪れたことがない。父の生家があった村はダムの底に沈んでしまったが、生前の父は近所の人などに「いい所だよ」と言っていたそうだ。
 どういうところだろうか。父が生まれ育った所を見てみたい。

 レオがいなくなっても、同じように毎日の暮らしを続けている。レオの晩年は外出する機会が少なかったがそのときに比べれば、外出したり、友だちを会ったりする回数が増えたことが違っているだけだ。ただ、レオが元気な頃は、仕事や友だちに会う、映画を見に行く、母とでかけるなど、もっと外出が多かったので、そのときに比べればそんなに活動的になったわけではない。
 ときどき、レオがいなくなったことを受け入れているのだろうかと思うことがある。受け入れるも何もレオはいないのだが、それでもわたしは心の中ではレオといっしょに暮らしているようなところがある。不思議なのだが、母の場合も同じで、母の死をほんとうに受け入れるまで3〜4年かかったような気がする。4年目くらい(昨年)に、「母の死は確定」と口に出さない言葉で自分に言い聞かせた時期があった。あのとき、やっと受け入れることができたのではないかと思っている。
 それでも本当に受け入れたかどうか。レオの場合も時間がかかるだろうし、時間が過ぎても受け入れられないこともありうる。



2009年9月7日に撮影したレオ
この年は春ごろから調子が悪く、
6月末に高熱を出して倒れ、
回復した後もしばらく弱っていたが
やっと元気になり始めた頃