今日もお祭り

 朝から雲ひとつない空がひろがる。暑くなりそうな一日の始まりだ。
 昨夜は八幡神社のお祭りの会場に足を運び、友人が歌うカラオケ大会を少しだけ観覧した。柴犬レオとは何年もお祭りにいっしょに来なかったので、レオがいないことに違和感はあまりなく、知人や近所の方とことばをかわしたり、ふるまいのピールを飲んだりした。ただ、会場のどこかににぎやかな所が大好きな亡き母が来ているような気がした。わがレオもいっしょにどこかに居るような気もした。
 舞台で歌い終わった友人といっしょにカラオケ大会を引き続き見たが、友人が帰った後は興味が失せて帰ろうと思った。会場にたまたま知り合いの方が柴犬を連れてきたのを見て、レオのことを思い出した。そのわんこがカラオケの音が大きく、人がいっぱいの会場にいて緊張している様子がありありと見え、それを見るとレオもこういうサインを出していたのかもしれないがわたしは気づいてあげることができなかったと思い、涙があふれてきたので会場を後にした。
 今日はお昼から、お神輿を担ぐ方たちへのふるまいの料理を作る手伝いをする予定だ。これを終えるのが午後3〜4時ころ。その後少し休んで、今夜もお祭りの会場に足を運ぶつもり。
 ふるまいのお料理は、お神輿を担いできた人が食べやすいように、5種類の串揚げを作った。一種類ごとに70〜100くらいを揚げる。鶏肉、エビ、ソーセージ、ナス、ピーマンの5種類だ。下ごしらえからやり、わたしはナスを揚げた。大量の揚げものなので黙々と次か次へと揚げた。今までこのふるまいを母と、ときにはひとりでいただいたことはあるが作ったのは始めてなので、その大変さがわかった。レオがいなくなり、今まで出来ないことができるようになった。わたし自身が本当にしたいと思うことをしたいと思う。わたしが本当にしたいことを見つけてやるようになったら、レオもきっとそばにいて安心するし、よかったと思うだろう。いまでもレオがわたしのそばにいると思っているのは妙かもしれないが、わたしにはそう思えてならないのである。いやそう思おうとしているのかもしれない。

神社の氏子が住む地域を回った後、休憩をとるお神輿の担ぎ手さんたち
地元には担ぎ手がほとんどいなくて、近隣からお祭り好きの助っ人の方たちが来ている