日差しは強いがもう9月

 今日は9月3日。早いなあと思う。柴犬レオが亡くなってからの時間の過ぎ方も速いが、2013年が始まってからの時間の流れも速い。レオがいた冬はそんなに遠い昔ではないのに、すでに夏が終わろうとし、秋になりまた冬が来るのだと思ったら、号泣してしまった。
 レオがいないことにあらためて気づいた感じだ。日々の生活の中でレオがいないことはわかっているのだが、ときどき、ああもういなんだと強く感じる時がある。そのときはとても寂しく、身も世もなく泣いてしまう。レオが死んですぐの頃は毎日のように号泣していた。号泣する間隔が少しずつ長くなっていくのだろうか。
 レオの夢はよく見るが、(ブログには書かなかった)数週間ほど前に見た夢の後は現われなくなった。こんな夢だった。家で眠っているレオが目が覚めて、お腹がすいているみたいなので、お膳の上のお鍋に入っていたウィンナソーセージをわたしの手であげたら、飲み込むように食べてしまった。家には母がいて、ごはんはないけれどパンはあるよと言うので、パンをあげたら勢いよくたいらげた。この夢を見たとき、レオにお水だけを供えていたが、その後はドッグフードやときどきわたしが食べるものでレオが食べそうなものをお供えしている。
 レオのことを思い出し泣いているとき携帯電話があり、気持ちが切り替わった。電話を切り、庭に出て寂しさの余韻をかみしめた。
 午前中と午後にかけて、短歌をいくつか詠んでみた。

 
 柿の実はへた虫ついて落ちいたり柴犬レオがいた庭に
 赤トンボ晩夏の庭を飛び交いし亡き愛犬の精霊のよう
 木漏れ日揺れる庭を昨年は亡き愛犬が歩いていたり
 昨年の日記を読みて眠れない夜は散歩で心しずめる
 亡き犬と多摩川の河原歩きけり教会の鐘響く秋の日に
 愛犬が他界し早2ヶ月余ああいないのだとあらためて思う
 夏空にエンジン音響かせて遠くの地へと飛行機はめざす 
 

洋室の窓から眺めた空
夏雲が浮かぶ

こんな時期に咲いた八重の山吹
春には一輪も咲かなかったのに・・・・・


昨年の9月3日の柴犬レオ
お昼ごろ、洋室に置いた古いソファの上で眠っている

2008年8月7日の同じ洋室から眺めた空
今日と同じような夏雲が浮かぶ
庭木が現在ほど伸びていなくて斜め向かいの家の屋根や電信柱がよく見える
これを見ると、庭木(特にスモモの木やユズの木)を剪定しなくては、という気持ちになる