読書をして過ごす

 雲が多い空で、ときおり日差しも出るが夕方には厚く雲におおわれた。ひと頃のような酷暑ではないが、蒸し暑くて不快指数が高い感じ。
 睡眠時間がそんなに不足しているわけではないのだが、からだが重くてあまり動きたくない。朝は4時ころを目を覚ましてしまい、起き上がったのは5時ころ。仏壇の花や柴犬レオに供えた花の水をかえてから散歩に出た。
 いつものようにお寺に寄った後、今朝は坂道を登り、また坂を下りて帰ってきた。最近、1年くらい空いていた土地に家を建築中だったり、見慣れた家々がこわされ、新しい家が建つ所が目立つようになった。街の風景が変わっていく。世代交代の面もあり、しかたないことではあるとは思うが、レオと歩いた道の景色が変わることが寂しくてならない。
 散歩から帰り朝ごはんを食べたら急に眠くなり、1時間ほど眠って起きたが、すっきりとせず一日中眠気があった。
 といってもごろごろしているのもつまらないので、ときどき休みつつ本を読む。一冊は図書館から借りている『母なる自然の食卓ー大地のメッセージ』という本。鶴田静さんという方が書いた。この方の本はよく読ませていただいている。四季折々の大地の恵みについてエッセイを綴っている。たくさんの野菜料理のレシピと、きれいな写真が掲載されていて、これは作ってみたいと思う料理がいくつもある。熟した柿を使ったマフィンやタルトなど試してみたいなと。
あとナスやトマトの料理もおいしそう。
 この方はベジタリアンで、どの料理もいろいろな野菜、果物と大豆などの豆だけで作っている。千葉県の鴨川近辺に住まわれているようだ。
 もう一冊は、昨年末に買って少しだけ読んで本棚に並べて置いた本で、白洲正子さんの『私の百人一首』。今回も最後まで読み切ることなく、また本棚に戻るかもしらないが読めるところまで読んでみよう。趣味として短歌を歌うようになったから。といっても古語の意味がよくわからず、短歌の意味もよくわからないものがある。ただ、ことばの音感、リズムなどのうつくしさはいいなと思った。

 柴犬のレオがいなくなってから2カ月以上もたつのに、あっ、レオがいないんだとあらためて気づいたというか。そうかいないのだと思う瞬間があり、わたしはほんとうにレオがいないことを受け入れているのだろうかと不安に思った。


 レオとよく散歩に行った用水路沿いの桜の古木は、猛暑のせいか、黄葉した葉をたくさん落し始めている。日中は暑いのに、秋の気配がいろいろなところに見られる。桜の木の下草を刈っている近所の方に大変ですねと声をかけると、来春もきれいに花を咲かせてほしいから、と笑顔で返ってきた。ああ、もう来年の準備をする時期なのか。そう思ったら、冬の桜の木の映像がフラッシュバックし、そこはかとない寂しさがやってきた。