近くの川べりにはコオロギの鳴き声が・・・・・

 昨日は夕方から雷鳴がとどろき、稲光が空を走り、激しい雨が降った。一昨日も雷と雨があったが、おしめりていど。昨夜はたっぷりの雨だった。
 いつものように早朝起き、駐車場をチラッと見て、近くの川べり(用水路)まで歩いた。水量が増えた川の流れが昨夜の雨を物語っている。川べりの草むらあたりからコオロギの声が静かに響き、日中はあんなに暑いのに、秋が少しずつ近づいているのだなと思った。
 レオが他界してからの時間の流れも感じた。あのときは梅雨の最中で庭には紫陽花が咲き誇っていた。あれから夏が来て、夏の真っ最中ではあるが秋の気配も忍び寄るようになった。
 昨年の夏はレオと暑い夏をふうふう言いつつ過ごしながら、コオロギの声を同じ川べりに聞き、ああ秋が近づいているとほっとしたのだろう。暑い夏が苦手なレオがいたから、秋の気配を今以上強く感じたはずだ。
 こんなことを歩きながら思っていたら、冷房なしでも過ごせる秋になり、日中、8畳の和室でごろんと昼寝をしたときのことを思い出した。レオは隣の部屋で眠っていたが、昼寝から目覚めるとすぐ横にレオが眠っていた。わたしが寝ている間にレオが目覚め、わたしのほうに歩いて来たのだろう。
 目が覚めてレオがいたとき、とても幸せな気持ちになったのをおぼえている。昨年のことだか一昨年のことだか思い出せないが、昨年のブログを見ればわかるかもしれない。
 同じ季節があと一カ月あまりでやってくるが、レオはもういない。


 レオを抱いてよく行った用水路にかかっている橋に、ゴミが落ちていて数週間前から気になっていた。ゴミは犬のうんちを入れたビニール袋で、飼い主さんが落して気づかなかったのだろう。早朝や夕方、冬から春にかけては日中もよくこの橋の欄干に座ってレオと過ごした。欄干にもたれて川を眺めたりもした。亡き母も夕方、風が涼しくなる頃、よくこの橋に座って、レオとわたしが散歩に行くのを見送ってくれた。たくさんの思い出がある橋だ。
 誰かがゴミを拾ってくれるだろうと思っていたがずっとそのままなので今朝、掃除をし、燃えるゴミの日なのですぐ捨てることができた。
 生前のレオと過ごした場所はなるべくきれいにしておきたい、という気持ちがあり、駐車場や庭など、せっせと掃除をしているが、四十九日を過ぎてもレオの毛がからまった落ち葉がたくさん出てくる。掃いても掃いても落ち葉にレオの毛が混じっているので、少し前から落ち葉をゴミとして捨てずに、庭に穴を掘って埋めることにした。
 庭や駐車場で過ごしたたくさんの時間が、レオが落した毛に込められているようで、捨てられなくなったから。


 暑さのせいもあるが、早朝や夕方、夜などの散歩をあまりしないようになった。レオと歩いた道を思い出にひたりながら歩かないとどうにかなりそうな時もあった。家にいることが辛く、駆り立てられるように外を歩いたこともあった。そのときよりは少し落ち着いたように思える。また、歩きたくなるかもしれないがそれはそのときのことだ。



2010年7月20日のレオ
橋の上でひと休み
この頃はリードをつけて住宅街や
多摩川の河原まで散歩していた




サギソウの花のクローズアップ
サギが飛んでいるように見える
 

コニファーにからんだフウセンカズラ
レオがいたときタネをまき、苗を定植したが
夏になってからつるを伸ばし、花を咲かせ、実がなった