落ち葉を土に埋めた

 わが庭で、近くの川べりで満開の桜が散り始めた。乙女椿はもう少し前から重たい花を地面に落とし始めた。
 例年ならもっと早い時期に落葉を集めた穴を土で蓋をするのだが今年はなぜかまだそのままになっている。柿の木のそばに掘った穴にまた残っている枯葉を掃いて積み重ね、今日土をかぶせた。
乙女椿の落ち椿は別にはいてゴミ袋に入れた。
 さらに小さな穴を掘り、残った落ち葉を埋めて土をかぶせた。さまざまな庭仕事はたいてい適期があって毎年その時季が来るとやるものだが、枯葉の始末はそれほど時季に縛られない。球根を植えたり、宿根草の植え替えをしたり、庭木の剪定などはできるだけ適期に行なうようにしているが。
 午後、先日横浜で会った友だちのひとりから電話があり、昔話に花を咲かせた。友だちが昔のことをよく覚えているのに驚いた。仕事仲間とお酒を飲みにどこそこに行った。そのとき、こういう音楽が流れていた。誰それがこんなことを言ったなどなど。わたしはそんなに細かいことは覚えていない。
 たくさんの記憶を持つことはたくさん思い出を持つことで、思い出す喜びがあると思った。これからも思い出したいような楽しい思い出作りをしたいものだ。
 近くの川べりに植えた9本の染井吉野。そのうち老木の何本かは早く開花したが今日は花吹雪を見ることができた。一陣の風にいっせいに花が散った。きれいだが胸がつまるような感覚があった。
 比較的若い木は開花が遅かったぶんだけ、今が花盛りなのであと何日かは近所で花が楽しめる。橋の真ん中に夕焼けのような色の灯がともる街灯があり、夜桜もきれいだ。


 吹き寄せのさくら花びら老犬のやさしきしとねとなりていたり

 ぼんやりと庭を見やれば見慣れぬ鳥あれはつぐみと目を引き絞る



手前は散り始めたが写真の奥のほうはまだ満開の桜が見られる

花びらが吹き寄せられたのを見ると、花びらに包まれるようにこの川岸で休んでいた柴犬レオを思い出す