命の営みに目を寄せる

 昨年あたりから、庭で見かける小さな命、蝶や蝉などの生き物が気になるようになった。柴犬レオが衰えの速度を速め、終わりに近づいているという予感があったのかもしれないし、父母の死を体験し、命あるもののはかなさに気づいたのかもしれない、また、ブログ友だちに虫などの小さな命にあたたかいまなざしを注ぐ方も何人かいらして、そのことに影響を受けたのかもしれない。
 今年6月にはレオの死に直面し、さらに小さな命の営みに目を寄せるようになった。
 数日前、孵化したばかりなのに何かの外力が加わり奇形になったのか、片方の羽根が折りたたんだまま開かない蝉がいた。玄関前の石畳でばたばたするが飛び立てない。短い命の蝉だが、飛べないで命を果てるのはなおさら哀れに思った。日のあたる石畳の上にいて、鳥たちの餌になるよりは、と思い、拾い上げ、ツツジの植え込みの中に離したが、そこでもばたばたしている。鳥の餌になり、命の糧になる役目を果たした方がよかったのだろうかという思いもよぎった。いや、手を出さない方がよかったのかもしれない。
 今朝は晩年のレオが寄りかかって歩いていた駐車場のブロック塀に、蝉のぬけがらと孵化し終えた蝉を見つけた。ほんの少し空が明るんでいるがまだ暗い4時過ぎのことだ。蝉はもうすでに身体の色がだいぶ濃くなっている。こんな目立つ所で日差しを浴びたら、鳥たちの目にすぐとまりそうな感じがして、次第に明るくなる時間、ときどき見に行った。蝉は少しずつ移動するがなかなか飛び立たない。太陽の光をいっぱいに浴びる時刻(8時ころ)になってもまだ飛び立たない。だがしばらくして見に行ったら、抜けがらだけが残っていた。無事、空高く飛んで行ったのだといいが。せいいっぱい鳴いて、相手をみつけ、子孫を残して、夏を終えるといいのだが。
 同じく今日の早朝、めだかが泳ぐ水甕に一匹の大きな黒っぽい虫が落ちてもがいているを見つけた。頭の真ん中からツノが1本つき出ているから多分カブトムシだと思う。溺れそうに見えたので、枝をさし入れるとしがみついたので、地面に下ろしてやった。しばらくじっとしていた。やれやれ、災難だったな。運よく棒き切れがあったので助かったー。なんて思っているのかも。しばらくして見に行ったら、姿が消えていたのでどこかに飛んで行ったのだろう。
 この辺にカブトムシが生息するような環境があるだろうか。夏休みなのでどこかの家でこどもが飼っているカブトムシが逃げてきたことも考えられる。


ブロックにしがみついて孵化した後
少しずつ上に登り、平らになっているところまで登ると
少し前方に移動し、姿が消えた
アリが様子を見に来るが、あまり近づかずに遠巻きにしている
動かなくても生きていることがわかるのだろう


今日の朝顔


裏から見た朝顔の棚
柴犬のレオがいたときは、こちらからの撮影はしなかったので
あえて裏から見てみた
なんか違う風に見えた