今年も白ムクゲが咲いた

 昨夏、わが庭に白いムクゲの木があるのにはじめて気づいた。それまでは薄いピンク色の花びらの底に濃いピンクの模様があるムクゲしか庭にはないと思っていた。
 目立たないところに植えられ、日当たりが悪く、花の咲く時期が遅いので長い間、気づかなかったようだ。
 その白ムクゲが今年もやっと咲き始めた。目の高さくらいにあるトイレのガラス戸の曇り硝子の向こうにぼーっと白い色が浮かんでいて、なんだろうと開けたら、白いムクゲの花だった。あまり花数は多くないが、白い花は輝くように美しく、目が吸い込まれそうになる。
 昨夏は柴犬のレオもいて、ひと夏をともに楽しんだが今年はもういない。でも白いムクゲが庭にあることを、レオがいた夏に気づいたことはよかったと思っている。白いムクゲはレオがいた夏の思い出の花になったから。

 先週の土曜日あたりから、軽いうつの状態で、ささいなことで涙があふれ、柴犬のレオがいてくれたら・・・と泣き始める。レオは犬なので言葉を解さないし(わかるところもある)、言葉を話せないが世界中の誰よりもいちばんわたしの気持ちをよくわかっていた。そう思うとわたしが失ったものは単なる愛犬ではなく、もっともっと大切な存在に思えてきて、失ったものの大きさに愕然とし、涙がとまらなくなる。
 レオと暮らした家にいて、レオと散歩した道を歩き、レオと過ごした用水路沿いに足しげく通う。こういう生活ではレオのまぼろしはわたしの中に染みついてしまい、精神的に追い詰められそうな気もしてきた。
 意識的に居場所を変えることも必要かもしれない。